■ 日本人がなぜ貧しいか
考えてみたことがあるだろうか。日本人だけがなぜこれほどの収入を得ながら貧しいのかと。確かに政治のせいもあるだろう。「実質可処分所得」の計算では、1998年の107.4という指数に対して94.4を記録している。しかも高所得者は収入が増えて、下から半分の人たちの収入と同じだけ稼いでいる高所得者は、上位たった40人だという。しかもその人たちには、税逃れをするためのタックスヘイブンもある。だから貧しくなってきているというのもあるだろう。
しかしそれ以上に構造的な問題もある。住宅に費やす金額が多すぎる上に、その住宅が長持ちしない問題だ。新築住宅は一歩足を踏み入れた途端に価値が五分の四に下がり、その後わずか15年で実質価値を失うのだ。ここには建て替えに必要な更地に戻す費用は含まれていない。更地にするための解体費用が300万円かかるのなら、土地の正味の価値はマイナス300万円減らさなければならない。
それほど早く価値をなくしてしまうことに、日本人は斟酌しないまま家を建て、解体していく。まるで当たり前のことだと言わんがばかりに。
しかしヨーロッパでは建物を数百年使うのが当たり前だし、アメリカですら100年経った住宅でも価値は四分の一は残っている。台風や火事、地震のせいと考えるかもしれない。しかし人口の密集した長屋でなければ、長く使われることを前提にした家を建て、類焼しない距離を取り、地震の衝撃を逃がすために土台は石の上に乗せた石場建てにしていた。こんな短命な家ばかりにしたのは戦後になってからだ。日本が伝統的に短命な家を建てるということはない。
ところがこの住宅費が家庭の支出の中では最大部分を占めるのだ。しかしその家は、通常30年経たずに建て替えられる。一生涯の間に三回も建て替え費用が必要になるのだ。これでは豊かになれるはずがない。
男の住宅ローンは平均で34歳から始まる。つまり定年退職になるころには建て替えが必要なのだ。すると男の人生は極めて貧しいものになる。学校を卒業してから34歳になるまでローンの頭金を貯め、その後はずっと支払いに追われ、定年退職の頃には建て替えが必要になる。そこで退職金をはたいて建て替えし、次の建て替えの頃には人生が終わる。ほとんど家のローンを払うための一生になる。
それを嫌って賃貸住宅にしたなら、定年まで払い続けても自分のものにはならないのだ。しかし退職後も家賃は続く。年金から払ったとしても自分のものにはならない。これが平均的な資産を持たない人の人生だとしたら、虚しい一生だと思わないだろうか。
そもそもの日本には「末代物」という考え方があった。家具を買うときに、ちょっと無理してでも次の代、その次の代へと使い継いでいけるものを選ぶことだ。
よく美化される江戸時代、森だけは持続可能ではなかった。森は家を建てるのに使われる建材だけでなく、煮炊きに使われるエネルギー材として、建材の二倍の木材を必要としていた。そのために森は使い尽され、浮世絵に描かれたような風景がごく当たり前の風景だった。
そのような大事な木材から作った家具は、末代まで持つようにと先の世代の人たちのためを思って選ばれた。木も同様だ。木を植えたとしても使える成木になるまでにスギで50年、ヒノキなら100年かかる。ということはきこりの人たちに自分の利益のために木を植えた人はいないことになる。次の世代を考えなければ、利益にならないからだ。
そのような心性の人たちが選んだのは「末代物」だった。
人々が持続可能な形で暮らせるように、自分の暮らしを成り立たせるのにどれほどの土地面積が必要になるかを計算する「エコロジカル・フットプリント(環境的にみた足跡)」という計算式がある。その結果では、日本人が今の暮らしを維持するには地球が1.6個必要になるのだ。この地球は一個しかないのに。
中でも大きな負担をかけているのは石油輸入と海外からの食糧輸入、そして短期で使い捨てられてしまう資源の浪費だった。この解決をしなければ人類は生き残れない。そう言うと鼻で笑われそうだが、それでも世界は大真面目に取り組んでいる。
まずは石油に頼らずに自然エネルギーに変えていこう、食料は輸入に頼るのではなく地産地消にしていこうと。そして短命に買い替えるのではなく、長く使っていこうと。
でも考えてみてほしい。安い家具ばかりになったのはいつからだったかと。かつては長く使うことを前提にして、高いけれどずっと使えるものにしていた。
海外の森を壊して、接着剤や殺虫剤をサンドしたベニヤ板の家具などなかったのだ。ほんのわずかな期間に、私たちの暮らしは破滅的なものに変えられたのだ。
それは今だけの利益を求めた人々の行動だった。そして今、私たちはその修復を求められている。
「末代物」の思想を取り戻したい。今回、自動車に長く乗ったら税金が高くなるように制度が改悪された。逆だろう。私たちが生き続けていくためには、長く使う側を優遇しなければならない。むしろ車の税金は車検とは別にし、長く乗るほど安くなる仕組みにすべきだろう。「今だけ、カネだけ、自分だけ」と言われる「三だけ主義」と呼ばれるような自分勝手が世界を破滅の淵に追い込んでいる。
逆でいいのではないかと思う。「未来にカネでなく、人々のため」という生き方をすることの方が楽しいのではないかと。そう思ってみたときに私たちの今の生き方の異常さが際立って見える。そんな生き方をみんながしていたら滅亡してしまうから、次の世代に残せるものを増やした方がいい。我慢するとしても、それが小さな子どもたちの人生に役立つのなら、耐えられるかもしれない。
やっとのことで生まれた小さな命を、犠牲にしてまで豊かになりたいとは思わない。それが普通の想いだと思うのだ。
写真の絵本棚、子どもたちが座っている腰掛、いすセットは
どちらも化学物質フリー&無垢材のすまうとさん手作りのもの