2020年4月29日

「足るを知る」暮らし

 世間は新型コロナウイルス蔓延防止の「緊急事態宣言」で騒がしくなっている。テレビは朝からその話ばかりで、特に大都市圏の被害者数が毎日増加していることが伝えられる。こうなると地方に住んでいるものには大都市圏から人が来るのを危険に感じるようになる。できれば来てほしくないと感じてしまう。地方は高齢者の比率が高いからだ。もし感染死すれば、村八分の残り二分すら失われる。


地方に住んでいるととても静かな暮らしになる。若い人にはとても耐えられない暮らしかも知れない。まず人混みはない。人との距離が気になるほど人がいないのだ。そして窓の外には山が見える。枯れ木ばかりだった山は、毎日気づかぬ内に点描画のように黄緑色の点を落とし、やがて新緑の緑を広げてくれる。




 我が家は有害化学物質を全くに近いほど使っていない家なので、家にいて心配になることがない。水も井戸、ポンプも太陽パネルの自給なので、心配がないだけじゃなくランニングコストもかからない。井戸水の農薬汚染も昨年検査した。全く不検出だった。今や水道水にも検出されるのだが、その心配もない。

 家を安心して居られる場所にしておくことが大切だと思う。金を使う時に、将来の支出を避けられるように使うように心がけてきたことが役立ったのかもしれない。電気も自給だしガス代も太陽温水器のおかげで大きくはない。







 そうして暮らしていると、使い道のない支出のおかげでゆとりさえできる。カネを稼ぐためにしなければならないということもない。ただしインターネット環境だけは大事にしている。報道もビデオもそれで見ているから、新聞は取らなくなった。勤めていた時には毎朝新聞を熟読していたのが嘘のようだ。唯一不自由なのは、相手がFAXでしかやり取りできない場合だ。固定電話もなくしてしまったから、FAXは受信できないのだ。今ではパソコンと携帯電話だけだから、写メかメールでもらわないと受信できないのだ。


 こうして近くに住む友人たちと交流しながら暮らしていると、シンプルな暮らしだけが必要だったのではないかと思える。私が設立した「天然住宅」も「未来バンク」も東京にいる息子たちに引き継いだ。では私は何をしているかというと、毎月数本の原稿のために毎日インターネットで調べものをしている。



 世間はあいかわらず新型コロナウイルスで騒がしい。どうやら今回だけはそのまま終了しそうにない。これからはずっとうまく付き合っていかなければならないようだ。しかしさほど心配しなくていいかもしれない。こうして今は戦っているが、歴史的に見るとヒトとウイルスは共存してきた時代の方がはるかに長いのだから。もしウイルスが取り付く種を絶滅させてしまうものであれば、ウイルスもまた絶滅する。そしてヒトの進化にとってウイルスは欠かせないものであった。「ウイルス進化説」という。



 中でも面白いのは、人が遺伝子を進化させる場面で、ヒトはウイルスを活用してきたという事実だ。

 例えば子どもが生まれてくるときに、母体の血液型と一致しない場合でも問題なく生まれてくる。本来なら一致しないということは、免疫的には「非自己」として排除されるはずなのに問題なく育つ。

 これは胎盤が問題ないようにろ過して通し、栄養や酸素だけでなく細胞も通しているからだ。その胎児の持つ細胞は、母の心臓を修復したりする。それ以外にも様々な臓器や脳にまで胎児の細胞が発見されている。この不思議な半浸透性を持つのが胎盤で、それは一本の鎖しか持たないウイルスのRNAを通じて受け取ったものと理解されている。それはヒトの二本鎖のDNAと違って変化しやすく、その中から適した機能を持つものだけを選択的に受け取ったらしい。


 さらにヒトの体細胞のエンジンとして機能している「ミトコンドリア」さえ、他の生物から取り入れてしまっている。ヒトはそもそもが他の生物と共生することで進化してきたし、今もそれは続いているのだ。人の害になるウイルスは、そもそも人間界の外に暮らしていた生物が持っていたものだ。ところが他の生物を殺し絶滅させ、環境を壊したことで、暮らす場をヒトの体内に見出せなくなったのかもしれない。それらは人畜共通感染症(ズーノシス)と呼ばれ、いずれも致死率の高い疾病となっている。それ以外の生物種には取り付く予定がなかったのだろう。



 ウイルスに対抗するのは「自然免疫」と呼ばれる最初から持と免疫だが、新たなものに対しては同じ免疫メンバーだが「獲得免疫」と呼ばれる新たな仕組みが対応する。新型コロナウイルスが怖いのは未だヒトが獲得していない免疫で、ワクチンもまだ開発されていないからだ。しかし免疫力が強ければ、どうやら重症化は避けられるようだ。



 ということは、原理的に免疫細胞群が元気で適度な数を維持していれば、最も最適な状態になるのだろう。そのためには免疫を強く維持し、爆発的に増加させないように抑制手段も維持する必要がある。爆発的に増殖させないように、有害化学物質や農薬などを不必要に摂取せず、抗酸化成分や微量栄養素を摂取するように気を配るのがいいだろう。



「天然住宅」に暮らし始めた人がインタビューに答えている。


「子どもは本能で生きているのでとても素直です。息子たちが天然住宅に初めて足を踏み入れた日、着ている服を全部脱ぎ出して裸で床の上を転がりだしたんです。気持ち良さを本能で分かって、それを体現したんでしょうね。長男は、『学校で嫌なことがあっても、この家に帰ってきたら全部なくなる』と言い、次男は『完全に気持ちいい!』という名言を残してくれました」。




 こんな時、居場所としての住まいの大切さがわかる。若い頃は住居など気にしていなかった。しかし今では自分の基盤になる住まいなしにいられない。できればいろんな生物たちと共存したい。他の生物のテリトリーを侵すことなしに。



 ヒトはこれ以上尊大な生き物にならない方がいい。自分たちの都合に合わせて自然を改変したり、他の生き物の生存を危機に陥れたりしない方が。どうやら環境破壊を進めてしまうのは、使いきれないほどの金欲と、獲得するための組織・制度であるらしい。でも生きるのに必要なのはほんの少しの資源で足りる。「足るを知る」ことが大事なようだ。




2020年4月24日

ライヴ・アースまつやま2020 開催中止のお知らせ

毎年参加させてもらっていて、今年も参加予定だった「ライヴ・アースまつやま2020」は、残念ながら中止となりました。


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ライヴ・アースまつやま2020
開催中止のお知らせ

愛媛県におきましても、新型コロナウイルスの感染が拡大していることを踏まえ、本年の開催を中止させていただくことを決定いたしました。

3/27付の発表では、無料開催への変更のお知らせをさせていただいておりまして、その開催変更の発表後もあたたかい応援をいただき、5月17日の開催が、コロナウイルスの収束に向けた愛媛県の皆さまの希望となるようにと準備を続けておりました。

しかしながら、ご来場いただく皆さま、出店いただく皆さま、出演者、スタッフに加え、準備期間を含め設営から撤収までサポートしていただく設営業者の皆さま、その他開催にあたり関係される皆さまの安全を熟慮し、開催中止の判断をさせていただきました。

毎年度積み重ねて準備をしてきたことを白紙にするのはとても残念ですが、再び城山公園で皆さまとご一緒に楽しめる日が来ることを願ってやみません。

最後に、
ご来場を予定してくださっておられた皆さま、
出店お申し込みをして
いていただいていた皆さま、
出演者の皆さま、協賛、運営、設営関係者の皆さま方、
多くのご協力をいただき、有難うございました。

このような形で開催中止の判断となり、ご迷惑をお掛けいたしますことを、深くお詫び申し上げます。

『2021開催』に向けまして、皆さまに、少しでも多く楽しんでいただけるような企画を今後オフシャルサイトにて発表させていただきたいと考えております。

ライヴ・アースまつやま実行委員会  
運営代表 高岡大輔

http://liveearth-matsuyama.com/


2020年4月23日

4/25(土)「田中優とオンライン談義2020.4」開催します!


4/25(土)15時~

田中優とオンライン談義2020.4」を開催します。

最近のこと、今気になること、始めたいことなど、オンラインでお話ししてみませんか?

ご興味のある方はこの機会にぜひ田中優サロンへご登録ください。
https://lounge.dmm.com/detail/962/

お待ちしています!



2020年4月16日

インデペンデントリビング

 ぼくの三男がドキュメンタリーフィルムを作った。タイトルは「Independent Living」という。同名の世界的運動をタイトルにしたようだ。日本では「Independent Living」という言葉はわかりにくいかもしれない。「独立した生活」と訳したのでは、何から誰が独立するのかわからない。子どもが親から独立するのか、はたまたアメリカの「独立宣言」を思い起こすかもしれない。  


世界的な運動である「Independent Living」は、「障害者の自立生活運動」だ。

それは以下の三つの自立生活をめざしている。

1.ライフスタイル選択の自己決定と自己管理の権限を障害者本人がもつこと
2.自立生活に必要な能力をもつこと
3.施設や病院ではなく、地域の中で通常に生活すること  



それは障害者の権利を確保する運動であると同時に、当事者である障害者自身が、「自立生活支援サービスを供給する主体である事業体」としての性格を併せ持つ「自立生活センター」を作っていく運動でもある。今や日本でも同じ運動が広がり続けている。  


「自立生活」とは、危険を冒す権利と決定したことに責任を負える人生の主体者であることを、周りの人たちが認めることに始まる。障害者は「哀れみ」の対象などではなく、福祉サービスの雇用者・消費者として援助を受けて生きていく権利を持ち、どんなに重度の障害があってもその人生の中で自己決定することを尊重されなければならない。


選択をするためには、選択した結果を学ぶことも必要だ。これまで障害者が閉じ込められていた「守られ保護されている存在」ではなく、失敗する権利を持つ主体なのだ。「危険を冒す権利」と「決定したことに責任を負える」人生の主体者であることを、周囲の人たちが認めていかなければならない。一人の人として自立し、周囲が福祉サービスの雇用者・消費者として援助を受けて生きていく権利を認めていくことだ。  


施設や親の庇護の元で暮らすという不自由な形ではなく、ごく当たり前のことが当たり前にでき、その人が望む場所で望むサービスを受け、普通の人生を暮らしていくために。  

その生活を自立して行う障害者は、ごく普通の存在だ。ただ周囲の人にとってはそれが期待を裏切るかも知れない。従来私たちがメディアなどで知らされてきた障害者とは違いがあるからだ。障害者というと、大きなハンデを抱えていても、健気に努力する存在として描かれがちだ。では障害者は健気で努力家でなければいけないのか。テレビで足に障害を持つ子が、富士山に登るというチャレンジをしていた。彼は登り切ったが、富士山に登れなければいけなかったのか。


なぜそれを人々がもてはやすのか。こうした身体障害者が物事に取り組み奮闘する姿が健常者に感動をもたらすコンテンツとして消費される。こうした見せ方を批判的に「感動ポルノ」と呼んでいる。彼は彼のままでいいはずなのに、そうした感動ポルノに影響されて、自ら期待される障害者を演じてしまうかもしれない。それは自然なことではないのだ。  

そのことを考えた時、ふとミスチルの桜井さんの歌詞が頭に浮かんだ。

「あるがままの心で生きられぬ弱さを 誰かのせいにして過ごしてる 
知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で もがいてるなら 僕だってそうなんだ」  
と。


「自分らしさの檻」とは適切な言葉ではないか。「そう思われていたい」という檻の中にそれぞれがいてもがいている。その「檻」を乗り越えるのに必死になるより、外に出てしまえばいい。ところが私たちはその「自分らしさの檻」の中に居心地悪いのに安住しようとする。障碍を抱えていたら、周囲の期待する視線も加わってなおさらだ。  


そのせいか、このドキュメンタリーはとても面白かった。自立生活をしようとする人々は、自分を檻の中に閉じ込めようとする言葉に敏感だ。それは一見親切そうに聞こえるが、抜け出られなくなる罠が隠されているからだ。しかし彼らはそこから抜け出ていく。自立していくには自己決定しなければならないからだ。  


私は喫煙者だ。残念ながら身についてしまった。このドキュメンタリーの中で、ある障害者の方が、気持ちよさそうにタバコを吸っていた。これが何とも美味そうなのだ。監督である三男はタバコを吸わない。映画作りの傍ら、彼は障害者のヘルパーをしている。そこで「映画を撮ってくれないか」と頼まれたのだ。


彼は実に偏見のない人だ。彼の叔父にあたる人に障害があった。彼にとってはそれは特別なことではなく、ただ当たり前の風景だった。そして大学を卒業してから二年間はホームレス支援のNPOに働いていた。障害者を特別視する環境にいたことがないのだ。  そして彼は映画を撮った。幸いしたのはこんな運動に出会えたことだ。それは彼の思いと符合したのだろう。特別視もせず、偏見のない目に普通に暮らす被写体と巡り会えたことが、幸運にも彼に自然なフィルムを作らせた。  


その彼は中学生時代に一度、親が呼び出される事態があった。特別に悪いことをしたわけではない。せいぜい教師についた悪態が教師の耳に入ってしまったぐらいだ。その教師に対しても特別扱いしない態度が気に障ったようだ。呼び出しには私自身が出向いた。教師に反抗的な態度を取ったのは失礼だが、「特別扱いせよ」というのは偏見だと思う。教師に従順でなければならない理由はない。そして彼はテストの成績が高いにもかかわらず通知表の成績は低くなっていた。「それでは従順ではいられない」と私は言った。その面談の後、二度と呼び出されることはなかった。私が教師にあきれられたのだろう。しかし彼は何もおかしなことはしてないし、学業の成績も悪くない。そんな三男を責める気には到底ならない。むしろ私は常に彼の味方であろうとした。  


そんな彼だから作れたのかもしれない。ぼくが病院を退院して、不自由な足取りで駅構内を歩いていた時、彼はさりげなくサポートしてくれた。彼は実に親切な人になっていた。その彼らしいフィルムができたと思う。この映画をぜひ観てほしい。


 

 

物語の舞台は大阪にある自立生活センター。

ここは障害当事者が運営をし、日常的に手助けを必要とする人が、一人で暮らせるよう支援をしている。

先天的なものだけでなく、病気や事故などにより様々な障害を抱えながら、家族の元や施設ではなく、自立生活を希望する人たち。自由と引き換えに、リスクや責任を負うことになる自立生活は、彼らにとってまさに“命がけ”のチャレンジだ。家族との衝突、介助者とのコミュニケーションなど課題も多く、時に失敗することもある。

しかし、自ら決断し、行動することで彼らはささやかに、確実に変化をしていく   。


映像作家・鎌仲ひとみが初プロデュース、ドキュメンタリー初監督・田中悠輝がおくる
ぶんぶんフィルムズの新作ドキュメンタリー。
製作協力:全国自立生活センター協議会( http://www.j-il.jp )
自立生活夢宙センター( https://www.npo-muchu.com )、他
製作:ぶんぶんフィルムズ( http://kamanaka.com )
助成:文化庁・芸術文化振興基金
全国自立生活センター協議会
公益財団法人キリン福祉財団

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■公式HP https://bunbunfilms.com/filmil/
■Facebook https://www.facebook.com/Independent.Living.documentary/
■予告編動画 https://youtu.be/pTnmMiu1Jb4
■Twitter https://twitter.com/outofframe5


<<映画館に行けなくても、インターネットで見ることができます!>>

劇場への応援にもなります。

<映画『インディペンデントリビング』 オンライン上映>


■上映リンク: https://vimeo.com/ondemand/filmil

バリアフリー日本語字幕・音声ガイドに対応しています

■配信期間:3月14日(土)正午~5月6日(水)23時59分まで
(※4/2に配信期間を延長しました)

■料金:1,800円

※一つのアカウントでお一人様の視聴をお願いをしております。
※ご購入から72時間(3日間)、パソコンやスマホ、タブレット等、複数のデバイスで視聴することが可能です。
※レンタルのお手続きにはJCBのクレジットカードはご利用いただけません。それ以外のクレジットカードでお試しください。

 


★ご紹介いただきました 


★2020年4月12日 NHK おはよう日本でも取り上げられました
田中悠輝(Yuki Tanaka)さんTwitterより
@YukiTanaka_IL