2017.6.28発行 田中優無料メルマガより
『 金儲けのためなら何をしてもいいのか 』
■「銀行カードローン」にご注意を
学生たちの「奨学金ローン」が当たり前になっている。大学生の半数近くが利用するようになっている。ところが大卒後の就職も楽ではなくなったために、今や返済できなくなった一万人以上が信用情報機関の「ブラックリスト」に載せられる事態になった。「ブラックリスト」に載ると、住宅ローンを借りられないどころかクレジットカードすらも作れなくなる。
年配者で自分も借りたが大丈夫だったという人もいるが、時代が変わっているのだ。今や高卒者の求人は少なくなり、高校の進路指導部すら就職率がまだマシな大卒を勧める。かつては免除が受けられた「研究者や教育者になった場合の免除」もなくなった。勤め先も苦学生の早退を容認する制度(実は筆者もこの制度によって通わせてもらった)もなくなり、労働自体も強化された。とても厳しい時代に変わっているのだ。
その大きな原因が就労世帯の収入減少にある。児童のいる世帯の平均年収は1994年に781.6万円あったが、2012年には673.2万円に下がっている。その後も常勤していても年収200万円に満たない「ワーキングプア」人口は増え続け、賃金指数も5%下がっている。収入は100万円以上も下がった中で人々は暮らしているのだ。
■困った銀行は被害者で儲ける
人は上がった収入の中で生活を維持して貯蓄をすることはまだできるが、逆に収入が下がる中で生活費を切り詰めるのは簡単ではない。そこに突然の出費や、予定できるが入学金のような大きな出費に備えることは困難だ。そこで奨学金ローンを借り入れる人が激増し、もう一つ銀行カードローンを借り入れる人が増えている。
かつては「クレサラ被害」と言って、クレジットカードやサラ金借り入れした人の被害が深刻になり、「貸金業法」の規制が厳しくなった。厳しい取り立てや深夜の訪問なども規制され、年間収入総額の三分の一を超える借り入れも禁止された。おかげでサラ金被害者も減少し、規制を超える返済をした人からは過払い金の返済も認められるようになり、自己破産する人の数も12年間連続して減少した。
ところが13年目にして自己破産者が急増したのだ。原因は銀行のカードローンだった。なんと貸金業法の規制は銀行に適用されず、銀行の大きな収益源として高金利のカードローンを行員の営業成績のメインに据えたためだった。
今や優秀な行員ほどカードローンを勧める。本業だった銀行の住宅ローン貸し付けは低金利の競い合いになり、民間企業貸し付けのための将来性の目利き能力は下がり、さらに国債運用で稼ぐのもマイナス金利で不可能になったためだ。
もっとひどい悪事に手を染めた。非戦闘員の被害が9割で被害者の多くが子ども、しかも2割以上が不発弾になって地雷の役目を果たすというクラスター爆弾、2003年に世界で製造、所持、輸送を禁止したこの爆弾に、「三菱UFJ、三井住友、第一生命保険、オリックスなどが融資していたというのだ。
これは全国銀行協会(全銀協)が資金融資しないと取り決めていたはずなのに、その代表をしていた三菱系の銀行が融資していたのだ。金儲けは人の命に優先していたのだ。
銀行カードローンは儲かる。しかも自分でリスクを負っていない。提携するサラ金に審査してもらい、貸し倒れした場合の焦げ付きもサラ金側が負担する。
アホでもできるノーリスクのカードローンなら、銀行の信用を利用して貸し出すことができるのだ。しかも金利は3%から15%としているが、よほどの短期の融資か信用ある人の多額の融資でなければ3%の金利は適用されない。多くが最大金利の15%が適用されるのだ。
しかもリボルビング方式(リボ払い)を選ばされることも多い。毎月の返済額を固定化し、負担が軽いかのように思わせて借りさせるのだ。そこで計算してみよう。もし40万円の借り入れをして、リボ払いで毎月一万円ずつ返済したとする。おカネに困っている人だから、再度急な出費に見舞われることも多いはずだ。そこで再度40万円借り入れて返済元本が80万円に達したとする。
金利は15%だから、年間の金利額は12万円になる。それを毎月一万円ずつ返していったらどうなるか。
永遠に金利分しか払えないのだ。100年経っても1000年経っても元本は減らない。永遠の金利奴隷になるのだ。
■銀行カードローンは規制のないサラ金
サラ金もまた「貸金業法」規制の強化によって次々に廃業して激減した。そのサラ金業者にとって「銀行」という新たな看板が使え、これまで怖がって近づかなかった客層を狙える。しかも厳しい貸金業法の規制も及ばないのだ。年収の3倍を超える融資だって何の問題もなくできる。こうして破滅に至る過剰貸出ができることになった。
そのおかげで13年ぶりに自己破産者が増え、多くの人たちが転落していくことになったのだ。「銀行は悪いことはしない」という神話の下で、銀行が破産者を増やしている。
もっとも奨学金ローンの方がさらに深刻かもしれない。高卒時点では未成年であることを利用して、親に連帯責任を負わせるからだ。すると返せなくなれば本人が破産申請するだけでなく、親もまた破産しなければ負債を免れることはできないのだから。
こうして収入の減少は、貧困をさらに深刻化させている。収入が減少する時代には、収入に合わせて支出を減少させることができなければならない。固定的な支出はよほどのことがない限り避け、臨時の出費は回避できる計画性が必要だ。
家計内の光熱水費や通信費は最低限にして、携帯や保険掛け金のような支出は契約を見直した方がいい。収入が増えない時代には、支出を考えるしかないのだから。
それより前に肝に銘じておいた方がいいことがある。それが「銀行を信じてはいけない」ということだ。カネのためなら取り決めを無視して虐殺兵器に手を染めるし、サラ金すらできない過剰融資もする。それで被害を受けるのは、銀行利用者自身なのだ。
◆◇◆◇ より詳しくはこちらを! ◆◇◆◇◆◇
田中優有料・活動支援版メルマガでもこの銀行について取り上げています。
■「銀行を信じてはいけない 」 (2017.6.15発行)
・共謀罪成立
・えげつない銀行
・サラ金から銀行に移った無担保ローン
・善意の銀行という神話
・無能が暴露した銀行
・背景にある貧困化
・破産の淵にいる多数の人たち
などなど書かれています。
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4/20に 吉田俊道さんとの土づくりワークショップ(前編)を開催いたしました。
今回の土づくりワークショップ(後編)では、前回のワークショップから2か月強経過した段階での土の状況を確認していただくとともに、現段階でしておくべきケアについても実践を交え、学んでいきたいと思います。
前回、雑草も生えない固い土を参加者の皆様と耕し、改良しました。
前回のワークショップの様子はこちらから
http://tennen.org/blog/tanaka-blog/tsuchi.html
うまくいけば、半年後にはげんき野菜を作れる土になります。
6/8に吉田さんに現地にお越しいただき、土の様子を見ていただきましたところ、「順調」ということでした。
その証拠に「糸状菌」の姿を見ることができました。
前回お越しになった方はもちろん、前回来られなかった方もぜひご参加いただき、土づくりを体験していただければと思います。
また、今回は建主様のご協力のもと、建築中の天然住宅のお庭でワークショップを開催しております。
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吉田俊道さんより
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=734599363368817&id=100004562792566
「庭で家庭菜園したいけど、野菜が育つような土じゃない・・
土が粘土質で排水が悪いため、元気な野菜が育たない・・
そんなあなたにはぴったりの、研修、実習会ですよ!
ゴロゴロ・ベトベトの雑草も育ちにくい土が、2か月でどこまで変われたのか?
ビフォアーアフターの土の実物を見たら、みんなびっくりするだろうなあ・・
あらためて、菌ちゃんの能力のすごさに感動しますよ。
その方法=雑草を使った菌ちゃんの土作りを学習しませんか?」
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当日は、建築中の天然住宅もご覧いただけます。
■日時 2017年7月6日(木) 9:30~12:00
■場所 八王子市北野台 京王線「北野駅」付近
※詳しくはお申込みいただいた方にメールでお知らせします。
■参加費 1500円/人 (一家族2000円)
※事前申し込みの上、当日お支払いください。
■講師 大地といのちの会 吉田俊道
■お申込み こちらよりお申し込みください
http://tennen.org/event/workshop.html
■主催 天然住宅
先日、和気町への移住希望者の方が、和気町移住相談員の飯豊さんと一緒に田中優宅の見学に来られました。
天然住宅や田中優をすでに知っていらっしゃって天然住宅を早く建てたいと思っている方、そしてなんと、ニュージーランドからの移住希望の方々もいらっしゃいました!
天然住宅仕様の家やオフグリッドシステムを見学後、和気町に暮らしてみてなどについて色々とお話をしました。
和気町への移住にご興味のある方はこちらをご覧ください♪
和気町 移住・定住情報サイト
http://www.town.wake.okayama.jp/wakesum/
田中優より
西田 栄喜さんから光栄なコメントをいただきました。
「7月1日は群馬の高崎でお話させていただきます。
なんと環境活動家・ 田中 優 (YU Tanaka)さんとご一緒!
自著「小さい農業で稼ぐコツ」も「農で1200万円!」も一番言いたいのは
最後の4ページ。
その「小さい農業で稼ぐコツ」の最後の言葉は優さんからいただきました。
「キューバのように何か有事の際に知恵を持った農家が行き先を指し示して欲しい」
と。
その言葉で自分が農家であることの誇りを、そして使命感が生まれ、
なぜかそれから経営もうまく回るようになりました。
お金と向き合う、その上で囚われない生き方を。
今だからこそ個人が起業(兼業)するすごいチャンスが溢れている時代。
そんな可能性を感じるお話できればと思っています。
お近くの方はぜひぜひ~」
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7月1日(土曜日)群馬Eコマース協会特別例会のお知らせです!
一人で六次産業化のようなことをやり、ネットを駆使して、
30アールという小さな農地で1200万円の売り上げを出している、
西田栄喜氏をお招きし講演会とシンポジウムを開催します。
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日時:2017年7月1日(土) 13:00〜
場所:高崎商科大学 入場無料
http://www.tuc.ac.jp/access/index.html
12:45 受付開始
13:00 講演
14:45 休憩
15:00 シンポジウム
17:00 終了
18:00 2次会開始(場所は追って連絡します)
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第一部 西田栄喜氏 講演会
著書 「小さい農業で稼ぐコツ」 加工・直売・幸せ家族農業で30アール 1200万円
西田栄喜氏は30アールの畑と小さなハウス3棟という自他供に認める
「日本一小さい専業農家」です。野菜は足音を聞いて育ちます。
目の届く範囲だからこそこだわれることがあります。
http://www.fuurai.jp/
クラウドファンディングは2回行い、100%越えで実施できたとのことです
https://faavo.jp/ishikawa/project/45
https://faavo.jp/ishikawa/project/430
群馬Eコマース協会の特別例会ということで農業そのものより
ネットのおかげで今いかにひとり起業に向いた時代であるか・・
何てことも話せればと思っています(^_^)
とのお言葉を西田様より頂戴いたしました。
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第二部 西田栄喜氏と田中 優 氏、及びフローとの対話
(ファシリテイタ:前田拓生高崎商科大学教授)
田中 優 プロフィール
1957年東京都生まれ。
2012年末に岡山に移住。2013年5月、自宅では電力会社との電線をカットし
電力会社に頼らない太陽光パネルと独立電源システムの生活、「オフグリッド生活」を始めた。
http://www.tanakayu.com/
以上のような内容となっております。
【特別例会のお申込みはこちらから】ですが、参加お申込み不要でも大丈夫です!!
https://goo.gl/Fv8Bbn
【入会申し込みはこちら】
https://goo.gl/V4HF6J
群馬Eコマース協会(GES)
http://sun-wa.co.jp/ges/
「田中優さんの著書を読了。
自分で選ぶ未来への希望をわかりやすく説明してくれている。」
ありがとうございました!(スタッフ)
https://twitter.com/59_otome/status/878660369270546432 より
詳細はこちら
合同出版サイト
もうすぐ今年も沖縄の慰霊の日がやってきます。
その日を迎える前に、大田昌秀・元沖縄県知事が6月12日に(この日は大田さんのお誕生日でもあったそうです)死去されたとのニュースが飛び込んできました。
「元沖縄県知事 大田昌秀さん死去、92歳 米軍基地問題の解決訴え続ける」
https://www.j-cast.com/2017/06/13300467.html?p=all
田中優もイベントをご一緒させて頂いたことが何回かありました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
こちらは2010年6月23日慰霊の日に沖縄にて田中優が大田氏とイベントをした際の、イベントへ向けての田中優コメントです。
http://tanakayu.blogspot.jp/2010/05/2310.html より
『慰霊の日から考える沖縄の未来』
本当の話をしよう。ぼくが生まれる前のこと、まるで関係ない人たちのように沖縄をアメリカに差し出した。内地人は沖縄を見捨てたのだ。
今回、再び普天間基地の代替措置に辺野古の海を差し出そうとしている。
国家同士は平等なのに、なぜか日本政府はアメリカにだけ配慮し、自ら代替地を差し出そうとしている。それは、再び沖縄を見捨てることではないのか。
政府に怒る以前に情けなくなる。
沖縄の人からメールが届く。結局内地人は沖縄人を差別しているのだと。
そう言われても自分に力があるわけではない。しょせん政府の決定に抗議する程度のことしかできない。反発すれば沖縄を特別視することになるし、批判を受け容れることもできない。ただ、沖縄の人たちの落胆を思うとつらくなる。
慰霊の日は、沖縄だけが内地人に無視され侵略され、直接攻撃されたことを忘れないための日ではないか?
都合良く、とかげのしっぽ切りにされたことを忘れないための日ではないか?
沖縄は豊かな文化を持ち、誰もがうらやむような生活スタイルを持っている。
それに敬意を持って接したいと思う。同じ時代に生きる者として、沖縄だけに基地被 害を押しつけるような政権に抗議し続けたいと思う。基地を受け容れる必要はないと思うが、もし仮に受け容れるのだとしたら、沖縄だけに押しつけるのはおかしくないか?
沖縄が「本土並み」になることは、沖縄を内地と同じにしてしまうことではない。各地域が独立心を持って、独自の文化と暮らしを持って暮らしながら、差別されないことだ。今なお内地の人々があこがれてやまない沖縄の暮らしを維持しながら、さらに独立した経済圏を確立してほしい。差別とそれに対する代償措置で、プラスマイナスゼロになるわけではないのだ。
沖縄の未来が「差別と代償措置」で成り立つ社会ではなく、豊かな文化の中で経済的にも独立して暮らせる地域になってほしい。そのために 何の助力ができるか自分なりに考えてみたい。
慰霊の日が昔の苦しみに再び苦しみを上塗りする日ではなく、失われた過去の霊に「豊かで安心できる日になったよ」と報告できる日にしたいと願う。
2010年6月23日、沖縄慰霊の日に那覇市桜坂で行われたトークイベント
「琉球魂’10~慰霊の日から考える沖縄の未来~」動画 ↓
Employee Engagement
Online Video Marketing
共謀罪成立
今日は共謀罪の成立した日だ。戦後の焼け野原から新しい社会を求めてきた時代の終わる日だ。もちろんこれは悲劇だが、一方で再建の日の始まりでもある。本当に自由と民主主義を求める勢力が、新たな時代を作り始める日でもある。
昨日までの、ただ数とカネと権力に寄り掛かった考えることをしない人たちの時代から、誰もがきちんと自分の考えを持つための始まりの日でもある。法は廃止できる。それを目指すことも大切だが、死文化させることも重要だ。すなわち適用できない状況を作ってしまうことだ。立法機関(国会)は法を作ろうとするが、実際には使うことのできなかった法文もたくさんある。本来廃止すべき法が放置されたままになっている事例もたくさんあるのだ。つまり立法は万能ではないのだ。
憲法は生き続けている。憲法は、憲法に反する法の制定を禁止している。だから共謀法が違憲となれば、法の側が効力を失う。それが違憲立法審査権の趣旨だ。ただしそれは個別の事件によって審査されるので、まず法によって罰せられる事件が先になければならない。しかしそれが明瞭に違憲であるとすれば、行政側もその法を使うことに消極的になる。つまり死文化するのだ。
共謀法の成立によってそれを「忖度」し、自己規制することが最も危険な変化となる。抵抗は特別なことをすることではない。今まで通りに暮らすことだ。大切なのは自己規制せずに今まで通りに在ることだ。そうすることが最大の共謀法適用に対する規制になる。特別な事情がなければ「違憲立法」となる可能性が高まる以上、法を使うことができないからだ。
抵抗は特別なことではない。法が存在しなかったときと同じように暮らすことだ。そして、もしそれが共謀罪の適用対象になったならば、違憲立法だと主張しよう。なんだか大きな段差を乗り越えてしまったように感じるかもしれないが、実は事態はあまり変わっていない。それが浸透するならば、次に法を廃止させよう。危険なのは委縮すること、自己規制することだ。メディアがダメになったと聞くことも多いが、実はテレビ視聴率、新聞購買数ともに減り続けている。今や最大のメディアがSNSやブログなど、インターネットに移行しつつあるのだ。そう、自らがメディアになればいい。
違う状況になってはいても、私たちには別な次元の自由がある。そこに次の時代の萌芽がある。
2017.6.15 記 田中優
2017.5.18発行 田中優無料メルマガより
『 種子法廃止」は何をめざすのか 』
■教科書検定の意見
東京書籍の小1向け教科書の「にちようびの さんぽみち」の記載が変更を余儀なくされたという記事があった。いつもと違う道を歩き、見慣れたまちの新しい魅力を見つけるという内容で、この中にパン屋さんが出てくる。
これに対し「学習指導要領に照らして扱いが不適切」という検定意見がついたそうだ。文科省は「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つことの意義を考えさせる内容になっていない」と言い、和菓子屋さんに変えさせたそうだ。「ラーメン屋」だったら、「スパゲティー屋」だったら、首相が好きな「天婦羅」だったらどうなんだろうと思う。
■和菓子は国産で作れなくなる
「和菓子屋」で落ち着いたんだから、日本の主食として知られる「コメ」なら文句なしだろうと思う。しかしその重要な「主要農作物種子法」が廃止される見通しだ。「稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆」は、主要な農作物種子として都道府県で管理されてきたが、それが改正ではなくいきなり廃止されるのだ。
この法律は戦後の食糧の足りない時代に、食糧増産のため、国・都道府県が主導して「優良な種子の生産・普及を進める」として制定されたとされる。これは今国会に提出された種子法廃止法案について農水省が作成した説明資料に書かれている。まさに「国家的要請」として、公的種子事業が制度化されてきたのだ。
この種子法によって稲や麦、豆の種子を都道府県が保存し、普及すべき優良品種(奨励品種)を指定してきたのだ。「原種と原原種の生産、種子生産ほ場の指定、種子の審査制度」などが規定され、都道府県の役割が位置づけられている。
ここで扱うのが「原種と原原種」で、言葉を変えて言うと「純系種」を扱っている。優れた性質を持つ品種を純粋なまま保存し、それを栽培した種(こちらを「原種」という)を農家に推奨していく。ということは別な種を掛け合わせた「F1種」ではないものを保存しているのだ。
これがなくなると、種はみんな交配してしまって「純系種」はなくなってしまう。何か病気が広がって絶滅した時も解決できない。それどころか「我が国や郷土の文化と生活に親し」むための和菓子すら、大豆もコメも小麦も元の味ではなくなってしまう。
■大企業に支配される「食」
この種を保存するのは大変な作業だ。大豆では周囲4キロの範囲から花粉が飛んできて受粉してしまうという。そうするともはや原種にはならなくなる。しかし今や野口種苗を除いて、多くの種苗メーカーは「F1種」を中心に販売している。種を採取しても次の世代は良いものが育たないが、品質も生育時期も同一の作物が作れるのだ。種の価格は高いが、品質も出荷時期も揃うので販売しやすい。
こうして「F1品種」が種メーカーの主流となっていったが、その流れはそこで止まらなかった。ご存知の通り別な生物の遺伝子を入れ込むことで、食べる虫を殺したり、自分の売る除草剤にだけは耐性を持った作物を作った。これが遺伝子組み換え作物(GMO)だ。それと同時に必要になるのがこの組み換えた遺伝子を、特許権で守ることだった。
かつて生命は特許の対象ではなかったが、今や生物の持つ遺伝子配列は特許権の対象となっている。GMOを作ったモンサント社は、自分の作ったGMOの遺伝子と交配した作物があると訴訟して特許料を払えと訴えるようになった。勝手に交配させられた被害者なのに、訴えられて特許料を払わせられるのだ。
種のビジネスはそこまで発展してしまっている。すると邪魔なのは原原種を保存している相手だ。種子法によって種子を保存しているところは特許権など取っていない。するとその遺伝子配列を調べて奪うことができる。特許を奪って原原種を育てているところがあれば、特許権侵害として訴えることもできる。
そして日本のように大切に原原種を保存しているところがあると、彼らにとっては邪魔な存在になる。彼らは「F1」のときのように高い金を払ってでも買おうとする客が必要なのだ。安くいい種を保存していて売るところがあったら、商売にならないからだ。
だから民間企業への開放を旗印に(今までも推奨種に民間が作ったものもあったが)、高く独占的に販売したいのだ。すでに海外では公共の独占してきた種を自由化したところもあるが、そこに入り込んでいるのは「モンサントとシンジェンタ(これもスイスのアグリビジネス=農業総合会社)」ばかりになっている。
■餌に差し出される私たちの暮らし
そう、これらアグリビジネスの意向が反映されたのが「主要作物種子法の廃止」なのだ。つまるところ巨大企業への日本市場の売り渡しにほかならない。それがいろいろな分野に同時に広げられている。水道の民営化、下水道の民営化など、日本で広がりつつあるが、その後に民営化した国がどうなったかを知っておいた方がいい。水質は悪化した上、水道料金は値上がりし、途上国では暴動まで発生した。先進国では、たとえばイギリスなどで進んでいるのは「再公営化」の動きなのだ。
こうして見ると不思議なことだ。政府が、国民の貴重な公共財である種や水などを海外の巨大企業に売り払いながら、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つことの意義」などと偉そうに言えるのか。どの口がそう言うのかと思う。
「郷土の文化や生活に愛着」を持ちたいのなら、現政権だけは支持しない方がいい。パン屋どころか和菓子屋すら従来通りには存続できない。言葉ばかりでやっていることは真逆の方向ばかりだ。政治家も信念などではなく、所有する株の発行企業や得られる収益にばかり従っている。ただうまいのは、言葉では逆のことを言うことと言い逃れだ。本当の代理人を選ばないと、私たちはいつの間にか大企業の餌にされてしまうだろう。
イメージ
◆◇◆◇ 参考情報 ◆◇◆◇◆◇
田中優有料・活動支援版メルマガでもこの種子法について取り上げています。
■「主要農作物種子法廃止」にどう対処するか(上) (2017.4.30発行)
~種子法廃止は何のためか ~
・種子法廃止の本当の目的と行く末
・エフワン種って何?
・「種子法」と「育苗法」
・遺伝子組み換え作物(GMO)との関係
・育てる種から買う種に
・知的所有権で守られた種
■「主要農作物種子法廃止」にどう対処するか(中) (2017.5.15発行)
・種子法廃止はタネの独占をめざす
・世界飢餓にまつわる12の神話
・「ほっとけない世界の貧しさ」キャンペーンの欺瞞
■「主要農作物種子法廃止」にどう対処するか(下) (2017.5.30発行)
・種子法廃止はタネの独占をめざす
・田中優がススめる運動の3つの方向性
・「食べるにわ」プロジェクト
~木製オープンキッチンのある家 お住まい見学会@鶴ヶ島(埼玉)~
埼玉県鶴ヶ島市にて築2年目のお住まい見学会を開催します。
天然住宅グループ会社、㈱アンビエックスによるフリー設計のお宅です。
建て主Iさまのご家族構成は、30代のご夫婦、そして小学生の男の子2人。
建物面積は2階建て約24坪とけっして広くはないものの、2階は3部屋確保しました。ロフトは階段で昇れる仕様にしたことで、収納力がアップしています。
オーダー製作の木製オープンキッチンや洗面室等のタイル、建具の取っ手、照明など、至るところに建て主さまのこだわりが光っていて、見ていてワクワクします。
お住まい見学会は、建て主さまの暮らしぶりを実際に見たり聞いたりできる貴重な機会です。
Iさまのお宅は物が少なく、選ばれる家具などもセンスがよくて、すっきりとカッコよく暮らされているのが伝わってくる家です。
いろいろと参考にしていただけたらと思います。
今回の見学会、午前の部は代表の相根が、午後は共同代表の田中優のセミナーも予定しています。
たくさんの方々のご参加をお待ちしています!
★建物データ
敷地面積:87.10㎡
延床面積:91.10㎡(内:ロフト9.94㎡)
間取り:3LDK
工法:木造(強化筋交い)
設備:太陽熱温水器・ペレットストーブ
■日時 6月17日(土)
午前の部:午前10時30分~12時30分
午後の部:午後2時~4時
■場所
埼玉県鶴ヶ島市(東武東上線「鶴ヶ島」駅より徒歩12分)
■参加費 無料
■内容
午前の部:お住まい見学会+相根昭典セミナー
午後の部:お住まい見学会+田中優セミナー
■お申込み
下記フォーマットからお申し込みください。後日ご案内メールをお送りします。
http://tennen.org/event/turugashima.html
『 一問一答~原爆で除染の必要はあったの?~ 』
「メルマガ一問一答をきっかけに 」
「メルマガ一問一答」に質問いただき、ありがとうございます。
自分だけで書いていると、どうしてもマニアの域に入っていきがちなので、とてもありがたいです。
「京都在住一メルマガ購読者」さん、どうもありがとうございます。
さて、まず質問をご紹介しましょう。
「福島原発事故の影響で、日本は国土の3%を住めない所としてしまった、と聞きました。米国が落とした広島・長崎の原爆ではそういう「住めない場所」は生じなかったのですか。福島での除染活動の話はよく聞きます。
しかし、原爆投下によって土地が放射能汚染を受け、除染の必要があったなどという話これまで聞いたことがありませんが、当時の人たちはどうしたのでしょうか」
というものです。
<本当に国土の3%が汚染されたのか>
このデータは、図のように朝日新聞社が2011年10月11日の記事で集計したものです。ちなみにぼくが説明するときは、「福島原発事故の影響で、日本は国土の3%を住めない所としてしまった」ではなく「住むのに適さない場所にしてしまった」と話すようにしています。
新聞記事いわく、「東京電力福島第一原発の事故で放出された放射性物質による被曝線量が年1ミリシーベルト以上の地域は、8都県で約1万3千平方キロ(日本の面積の約3%)に及ぶ」そうです。しかし今回の汚染のうち、比較的長く汚染を続けるセシウムで見てみると、半減期(放射性物質の半分が放射線を出して次の元素に移行する時間)が30年のセシウム137が半分と、残り半分は半減期が2年のセシウム134になっています。
すると2年後の2013年3月11日には、セシウム137はほとんど変わらないが、セシウム134は半分に減っていることになります。したがってその頃には当初の汚染の3/4程度に減っていることになります。
これをちょっとグラフで示してみましょう。
(グラフはバックナンバーにて公開中)
半減期が2年のセシウム134は、20年でほぼなくなるので急激に落ちるのですが、その後の汚染は半減期30年のセシウム137中心になりますから、減っていかなくなります。半減期はその10倍すると、1/1000以下になるので、大まかに半減期の10倍で影響がほぼなくなると覚えるのが簡単です。
環境省は「追加被曝線量が年間1ミリシーベルト以上ある地域を国の責任で除染する」としているのですが、実際にはせっかく除染しても他から放射能が戻ってきてしまうので、効果に疑問があります。やはり高汚染の地域は「居住不能」として除染せず、そのまま時間が経つのを待ち続けるべきです。住む人のリスクが高すぎることもありますし、費用も莫大にかかって、しかも効果が望めないからです。
しかし現状ではすでに、「除染利権」とでも呼ぶべき利権が発生してしまっています。大手ゼネコンは「これから<少なくとも20年間は仕事に困ることはない」と言っていたりします。ぼくの友人は今回の汚染地の出身で、必死に調べて実験して除染方法を開発したのですが、言われたのは「除染しなくていいんだよ、仕事になるんだから」という言葉でした。
実際に除染しているのは0.23シーベルト/時(以下同じ)の地域だけです。
元の数値を0.04シーベルトとすると、0.19シーベルトの増加ですから、年間では1.664ミリシーベルトになるのですが、在宅時は被曝量が少ないなどと計算することでこの値にしているようです。
<広島・長崎の原爆汚染>
さて、それでは質問への回答の核心に入りましょう。
「米国が落とした広島・長崎の原爆ではそういう「住めない場所」は生じなかったのですか。福島での除染活動の話はよく聞きます。しかし、原爆投下によって土地が放射能汚染を受け、除染の必要があったなどという話はこれまで聞いたことがありませんが、当時の人たちはどうしたのでしょうか」
「なぜ広島・長崎の原爆ではそういう「住めない場所」は生じなかったのか」の答えは「枕崎台風」です。原爆が投下されてから39~41日後に、巨大な台風が長崎・広島の原爆被曝地域を襲ったのです。
その効果について、以下に秋月辰一郎著『長崎原爆記 被爆医師の証言』の話を紹介したHPがあるので、一部を抜粋して紹介しましょう。
http://btrabo.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-55ba.html
~引用ここから~
2011年5月27日(金)
しかし、ここに雨と放射能の関係で全く違った事例がある。それは長崎原爆後の雨である。
秋月辰一郎著『長崎原爆記 被爆医師の証言』(平和文庫)(単行本- 010/12)に、8月9日の原爆投下後の二度の大雨のことが記載されている。秋月辰一郎は、長崎原爆で被爆しながら、一人留まり救護所で大勢の被曝患者の手当を続けた医師である。
その著書の中で、原爆後の二度の雨を「救いの雨」と呼んでいる。
◆なぜ救いの雨だったか
その雨は、大変な豪雨であったという。
一度目の雨は、九月二日から三日にかけて降り続いた。この二日間の雨量は長崎地方には稀有なものだった。測候所では雨量三百ミリ以上を記録し、長崎地方一帯を水びたしにし、被災者を追い打ちした。
二度目の雨は、歴史的な大型台風「枕崎台風」の来襲であった。長崎地方は、猛烈な暴風雨に見舞われた。この台風は、九州南端・枕崎に上陸し、九州を南から北に縦断し、山口県と広島県の境を駆け抜けて日本海に去った。
秋月医師は、「天主の試練もひどすぎる。もういい加減にしてくれ」心の中で叫んだという。
しかし、台風通過後に、秋月医師は次のように述べている。
「不思議なものである。私は他の被爆者たちと台風一過、秋風の中に立った。秋の陽に衣服を乾燥させながら、なにか気持ちがすがすがしかった。これはさきの九月二日の豪雨の後に経験したと同じものであった。いやそれ以上のさわやかさだった。」
当時ガイガ-測定器など持たない秋月医師であったから、地上の放射能を測定して、台風前後の放射能を比較することはできなかった。しかし、この台風を境にして、急に病院付近の死亡者数が減少したという。
秋月医師は、「私をはじめ職員の悪心や咽吐、血便も回復した。頭髪も抜けなくなった。」と述べている。
後に秋月医師は述べている。
「この枕崎台風こそ神風であった。次つぎと肉親を奪い去る二次放射性物質、死の灰から被爆地の人びとを救ったのである。」
「被爆後四十日(枕崎台風来襲)にして被害はくいとめられた観があった。」
当初、原爆の跡には、七十年間草木は生えない。まして人間は絶対に住めないという噂が流れたという。これは、原爆実験が行われた米国のネバダ州やアリゾナ州のような砂漠・荒野を想定したものと言われる。雨を考えなければ放射性セシウムやストロンチウムなど(半減期が30年)は、70年以上高い放射線を出し続けることになる。
この台風後にぞくぞくと訪れた学術研究陣は、「地上の放射能は、西山に少量残っている」と報告している。大部分の放射能は流れ去ったのである。
● 秋月辰一郎(あきづき・たついちろう)
1916年~2005年。長崎市万才町生まれ。当時の浦上第一病院医長。
53年に聖フランシスコ病院医長、86年顧問。爆心地から1.8kmで被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。吉川英治文学賞、ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他。
著書に長崎原爆記、死の同心円 他がある。
~引用ここまで~
<台風の洗浄効果を悪用>
この「台風後にぞくぞくと訪れた学術研究陣」は、大部分の放射能は流れ去った後の状態を原爆の放射能影響としたのです。さらに日本での放射能影響調査は、隠され否定され禁止されました。その後に続く米ソの対立と核開発競争の中で、放射能の人体への影響は過小評価されることにつながっていきました。その第一がこの台風に洗浄された後の値を利用して、原爆の影響としたのです。
これを琉球大学理学部教授の矢ケ崎克馬先生は以下のように現しています。
「放射性降下物を無くした方法は、枕崎台風を利用したことです。広島では、床上1m の大洪水の後に、長崎では1300mm の豪雨の後に測定した放射線強度を用いて「始めから放射性の埃はこれだけしか無かった」(DS86)としました」
(図はバックナンバーにて公開中)
放射能のチリがなかったということになっているのですから、それに比例して原爆爆発時の放射性物質もなかったことにされました。流されてしまっていますから、爆心地から2キロより遠い場所に住む人たちは放射線を浴びていなかったことにされたのです。さらにチリがないのですから、放射能を体内に取り込むことで起きる「内部被曝」もなかったことにされました。
その調査をしたのがアメリカの原爆傷害調査研究所(ABCC)で、被害の事実から内部被曝を除いて統計処理したのです。これが現在の放射線の被曝基準に使われています。
その後にこのABCCの仕事は、日本国内の放射線影響研究所(放影研)に引き継がれました。国内で放射能は問題ないと言っている御用学者のボスには、いつもこの放影研の人たちがいるのもそのせいです。
このデータが、アメリカの国内委員会である防護委員会から発展したICRP(国際放射線防護委員会)の基になりました。日本基準よりはずっと厳しい数値を取っているICRPですが、そのデータはもともとのところに虚偽があるのです。
だから現実の被害は、国内で言われているものよりははるかに大きく、ICRPの数値よりももっと大きくなります。
おそらくはアメリカのゴフマン博士の作った「ゴフマン値」を越えるのではないかと考えられます。ゴフマン博士はアメリカ政府の依頼を受けて「低レベルの放射線の影響」を調査し、その結果が政府の意向に沿わなかったことから中止させられた研究者です。
このグラフの「1万人・ミリシーベルト」というのは、「一年間に1ミリシーベルトずつ1万人が被曝した場合」を示します。「10万人が0.1ミリシーベルト」でも、「1000人が10ミリシーベル」でも被害者数は同じになります。その計算の仕方を「人・ミリシーベルト」とするのです。
たとえば日本では、今20ミリシーベルトも被曝量のある地域に人々が戻されていますが、それが1万人いた場合、「20万人・ミリシーベルト」となって、グラフの数字の20倍がガン死することになります。
0歳の子どもは150人のガン死者数ですから、3000人が死ぬことになります。
ICRPで計算した場合は1万人当たり5人としていますから、100人がガン死することになります。この小さく計算される「ICRPの基準」こそ、広島・長崎の隠蔽されたデータによるものなのです。
さらにこの隠蔽は、日本政府により「被爆者認定基準」に利用されました。
それに闘い続け、勝訴し続けた矢ケ崎先生は、こう述べています。
~ここから引用~
「被爆者認定基準」は本当の被曝実相を反映していません。多くの疾病に苦しむ被爆者は「あなたは放射線には被曝していません」と切り捨てられ続けました。
原爆症認定集団訴訟では全ての判決で、内部被曝が認められましたが、ICRPに従う(国や)多くの機関や「科学者」はこの結果を受け入れていないのが日本の悲劇です。
現に進行している福島原発による被曝の見方は大きく歪められています。被爆者が味わった苦しみを「福島」で再現すべきではありません。
http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-11322128194.html
~ここまで引用~
<この程度の放射能汚染は経験済み?>
しかし福島原発の放射能程度は、大気圏核実験がさかんに行われた1960年代に経験済みだから、たいしたことはないという人もいます。しかしそんなことはありません。
(グラフはバックナンバーにて公開中)
これは気象研究所が作成した放射能の降った量のグラフです。確かに1960年前半にかなり多い量の放射能が降ったことがわかります。しかしその後はずっと下がっていたのですが、1986年のチェルノブイリのときに、突出して核実験の最大時並の放射能が降っていたことがわかります。しかし今回の放射能の量は、1960年代よりも2マスほど高いところに位置していますね。このグラフは対数グラフですから、2マスは100倍を意味します。
しかもここで調べられているのはセシウム137とストロンチウム90です。今回の福島原発事故ではセシウム137とほぼ同量のセシウム134が放出されていますからその倍になります。
つまり今回の放射能が降ったレベルは、大気圏核実験時の最大レベルの200倍程度ということになります。だから未経験のレベルだと言えるのです。
<政府のプロパガンダを信じないで>
日本が経験した原爆被曝のときには、台風が放射能を洗い流していたのです。だから特に除染する必要もなかったんですね。しかも当時は放射能測定器もありませんでした。だから秋月医師は体感で感じていたわけです。放射能は感じることができませんから、自分の体の反応のほうを感じていたのでしょう。
ところが福島原発は、台風がひどく襲う地域ではありませんでした。だから汚染がそのままなわけです。もっとも原発には蓋がない状態ですから、台風が来たら何が起きるかわかりませんから、幸いするとばかりは言えませんが。
そしてもうひとつ、このことが原爆被害の隠蔽に使われたのです。そのために国内の多くの被爆者が認定を受けられず、苦しみを強いられたのです。その後、この隠蔽されたデータが、世界の放射能の安全(正しくは受忍)基準に使われていきました。そう、今言われている被害のレベルは、現実のものより桁違いに過小評価されていることになります。
少なくとも国の言うことよりは、はるかにちゃんと対策する必要がありますね。
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