2014年4月13日

パパ目線で追う避難・移住 「福島原発事故後に暮らす」

【福島原発事故後に暮らす
 ~この小さな手に未来のバトンを渡したい~】

2月に書いた原稿が、岡山で無料配布されている「こられぇおかやま vol.2」に
掲載されました!




この冊子、岡山での就労、企業、行政サービス、食べ物、子育てなどなど、
色んなことが掲載されています。
岡山への移住を考えられている方、移住された方など、ぜひご参考ください。


▼子ども未来・愛ネットワーク
http://kodomomirai.businesscatalyst.com/index.html


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『パパ目線で追う避難・移住』コーナーより


「福島原発事故後に暮らす」(田中優)

 2012年12月に転居してきました。
 福島原発事故の後、講演会を依頼されて汚染地にも行きました。
そこで「できればここに住んでいない方がいい、でも出られなければ次のことに気を
つけてほしい」と話していました。

 他人にそう話していながら、自分が汚染されている東京に住み続けることに矛盾を
感じて転居したのです。妻に子どもができる前だったのですが、岡山に来てから妊娠
がわかりました。

 今子どもは生後7か月(※2013年7月に産まれました)、すくすくと育っています。
子どもを育てるのは20年ぶり。もうすぐ孫が生まれるのに自分の子どもです。

 赤ん坊は自分で生きられず、すべてを大人に委ねて育っていきます。人間はこの作業
を営々と続けてきたのですね。子どもが苦手だったはずの妻は、子どもが生まれてから
別人のように子ども好きになりました。「母性本能」は信じませんが、すべてを頼り切
る赤ん坊の存在がきっと人を変えるのだと思います。

 ちょっと老けていますが父として、この子が生きるに値する社会にしてあげたいと
思うのです。最近「リセット」という言葉が脳裏に浮かびます。思えばぼくが環境運動
に参加したのも、26年前に子どもが生まれたおかげでした。

 子どものおかげでぼくは何度でもリセットされていきます。これでいいのか迷ったり
悩んだりするけど、その姿を見ていると「このまま続けよう」と勇気が湧きます。

 ぼくらはリレーのランナーみたいに次の世代にバトンを渡すために生きているんじゃ
ないかな。

 一番上の子はすでに社会人で非営利事業を支え、次の子は弁護士の卵で、玄海原発
訴訟の手伝いを始めた。三番目の子はホームレス支援活動のNPOで、ハードな仕事
に前のめりになっている。

 この赤ん坊がどんな子になってくれるのかはわからないけど、生きるのを楽しみに
暮らしてほしい。

 この小さな手に未来のバトンを渡したいんだ。