2017年4月4日

『縮小する経済のために』

■人災か天災か

 人から「311後のこと」を書いてくれと言われて、当初は震災や原発事故のことを書こうと思った。しかし6年経った今になって見てみると、この問題には教訓化すべき別なことがあるように思える。それが「縮小する経済」にさしかかった時代を、どう乗り越えていくかの問題だ。

 311の災害以前から日本の少子高齢化は既定の事実で、いつかは経済が縮小し始めると多くの人が考えていた。事実国内の人口は減り始め、高齢化率は高まり、若者の数は減り続けている。いずれ経済は小さくなり、栄華を誇った日本は転落し始めるだろうと思っていた。その中で311の震災が起きた。

 人々は衰退を始めた日本経済を、天災のせいと思い込んでしまったように思う。
 しかしこの事実は本当に「自然なこと」なのだろうか。ここに疑問を感じた。
 稼働年齢層の数の減少より先に経済は縮小を始めているし、その縮小を始める原因も別にある。たとえば東芝の巨額赤字は縮小以前に起きている。世界的には赤信号の灯っていた原子力産業への投資が原因なのだから。

 これは天災ではなく明らかな政策の失敗だ。続いてフランスの原子力産業の大手「アレバ社」に三菱重工業が、500億円近い投資を行った。アレバ社はすでに破たんに瀕していて、全世界でも原子力発電所の建設計画が次々に暗礁に乗り上げる最中のことだ。


■自動運転の錯覚

 そんな最中、築地市場の豊洲移転問題に関わって石原元知事が証言した。
 「専門家が決めたことだし自分は専門家でないからわからない」「知らないものは知らない」「任せた」という言葉の連発だった。責任者であるはずの知事は専門家の召使だった。

 これまでの「組織」は、自動運転装置だったのかもしれない。まるで名誉職にいるかのように無責任に振る舞えばよく、自動運転装置なのだから「よきに計らえ」と言っていればよかった。ところが座礁した。豊洲移転で、原子力事業で、福島第一原発で。これは支えた周囲の人たちの問題でもある。自動運転の時代はとっくに終わり、考えなければ進路を誤る時代にとっくに入っていたのだ。

 それが決定的に露出したのが「311災害」ではなかったか。福島原発周辺に巨大な津波が届く危険のあったことは、すでに明らかになっていた。東電社内では「貞観地震」並みの津波を想定し、それに対する対策を考えていた。ところが多額の費用がかかって利益が減少するからと見送ったのだ。確かに津波は多くの人の命を奪った。

 しかし津波対策をしなかったことで福島原発は莫大な放射能を放出し、今後を含めてたくさんの被害者を生み出し、今後も住むのには適さない土地を広大に生み出してしまった。放射線技師の年間被ばく線量の基準は5ミリシーベルト。
そこに18歳未満の人は入れない。ところが今住民を帰還させようとする場所は年間20ミリシーベルトある。技師らは毎年血縁検査を義務付けられるが、それも考えられていない。この被害もまた人災だ。

 東北電力の女川原発を建てたときの副社長は東北出身だった。だから貞観地震並みの津波を想定して高い位置に建てた。311のときに一部浸水し火災も起きたが、爆発はしなかった。地域のことなど考えず、会社を「自動運転装置」とばかりに利益以外のことを考えなかった東電執行部が事故を招いたのだ。無責任な船長に任せてはいけない。


■本物の縮小する経済をどう乗り越えるか

 おそらく今後、人々の暮らしは沈んでいく。人口減少、少子高齢化が経済を縮小させるからだ。縮小する経済はまだ始まったばかりで、すでに起きている経済の衰退とは別な事態だ。だから現状にさらに加わるのが縮小する経済だと見ておいた方がいい。それがどれほどの深刻さを招くのかはわからない。

 若年者の減少は生産性を下げるだろう。その所得の減少は目も当てられないほどのものになる。なぜなら彼らの収入から、高齢者の年金も医療費も介護費用も負担させなければならないからだ。一説には彼らの収入の7割が社会負担に取り上げられ、可処分所得は3割ほどになるという。1000万円の年収があったとしても、自分で使えるのは300万円だけなのだ。

 彼らを取り巻く現実は、それに加えて福島原発の後始末、増加する放射線被害に伴う医療費、潰さずに生き延びさせた企業のお守り費用がのしかかる。新電力に契約を変えたとしても、すでに送電線を使う「託送料金」にそれらの費用が上乗せされた。水道料金には必要もなかったダムの建設費が乗せられる。悪いことにそれらダム群は、今後カリフォルニアで起きたように決壊を始めるだろう。

 これを「天災」のせいであるかのように振る舞うのはやめよう。ダメなものを作った人災なのだから、その人に責任を取らせよう。そうしないと今後も名誉職と勘違いした政治家や会社役員が増え、年金より悪い「不労高額所得者」を生み出してしまうだろう。


 別の生き方もある。自分で未来を生み出すのだ。電気も水も食物も自給し、周囲の人たちと交換しながら生きていく方法だ。

 経済破たんした北海道の夕張市の事例が参考になる。市の病院は閉鎖、住民当たりの病床数は激減、救急車を呼ぶにも一時間かかるようになった。その結果夕張市は、死亡率も疾病率も下がり、医療費も全国一低くなった。人々は元気に暮らして自宅で老衰し、病院でたくさんのチューブにつながる最後ではなくなった。



 大きな船の船長を選ぶ以前に、船を小さくすることもできる。小さな船なら賢く航海する船を真似ればいいし、その失敗を生かせばいい。その小さな船の最小単位に家庭がなってもいい。縮小する経済には船も小さくしよう。

 それでもこれまで通りの生活ができる手段が増えてきた。現に私はたくさんのものを自給して暮らすようになった。その中で気づいたことがある。人との関わりがなくなって孤独になるかと思いきや、カネでないつながりの仲間が増えて、より楽しく暮らせるようになったのだ。カネでつながらない関係の方がいいと思う。



2017.3.28発行田中優無料メルマガより