南極にいったことがある。そこは神の領域だった。世界最大のサンクチュアリだと思う。
なぜ南極を残せたのか。「南極条約」のおかげだ。
その南極条約が日本国憲法の精神によって成り立ったことは意外と知られていない。
疑心暗鬼に代えて、互いを信じて譲り合う精神。
井上ひさしさんの文章から紹介したい。
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井上ひさし氏記念講演 『憲法について、いま どうしても伝えたいこと』
2008年8月21日(木)教育のつどい全体集会 より
「・・・ところが、観測に参加していた7カ国が南極を自分の国の領土だと 主張。
また、米ソが、それぞれ南極に軍事基地をつくるのではないかと疑い対立していた。
そのとき、文部省の木田ひろしという広島出身の若い官僚が南極観測にかかわる仕事をしていた。彼は、学徒出陣から戻ったら原爆で家族が全滅していた。文部省に入り「あたらしい憲法のはなし」という有名なパンフレット、中学校の副読本を書いた人でもあるこの人が、 南極の会議で各国の代表がもめているときに、「日本は戦争放棄の新 しい憲法を持ってスタートした。これを一晩読んで、明日もう一度話 し合ってほしい」と大演説をして英訳した日本国憲法を配布した。
各国代表も度肝を抜かれて、話がまとまった。それが1959年の南極条約です。
内容はいたってシンプルで、領有権は凍結。人類の共有財産で ある。軍事利用は禁止。科学的な調査活動だけ。戦後の国際条約の中で最良のものの1つです。
1966年には宇宙条約ができる。大気圏外は人類共有のものであって、軍事利用や核使用は禁止する。これは南極条約がモデルになっています。1968年には中南米が非核地域の条約を結び、さらに海底条 約、南太平洋の非核地帯化、東南アジア非核地帯条約へ。アフリカ統 一機構でも非核化を打ち出し、南アフリカ共和国はその際、すでに保有していた核兵器を廃棄した。中央アジアでもモンゴルが非核宣言を している。
日本国憲法を読んだ人が感動して、南極条約をつくり、 それをお手本にして次々に国際平和条約がつくられている。戦争でもめているのは世界の中ではもはや少数派だ。」