2013年4月12日

『 福島第一原発事故から2年後の社会構造 』

2013.4.12発行田中優メルマガより

◆ 消されつつある原発事故


 テレビがないのでよくわからないが、伝え聞くところによればメディアは放射能の危険性を「風評被害」と断定しているそうだ。事故前、原発に反対する多くの人が「日本はきっと大きな事故でもなければ目覚めない」と言っていたことを思い出す。しかし大きな事故が起こった結果は「それでも目覚めない」だったようだ。

 今なお汚染された土地に多くの人たちが暮らし、百万人に一人か二人しか発生しない小児甲状腺がんが、細胞診を含め3万8千人に10人に発生しても、放射能のせいではないと言ってのける。福島県は、肝心な事故時の放射能データを上書きして失わせた。

 原発事故は津波ではなく、地震で起きていた可能性が高いのに、東電は調査委員会の人たちを「真っ暗で危険で入れない」とウソを言って調査させず、政府は2年も経ってから放射能をベントで放出する前に周囲に放射能が漏れていたことを発表した。

 注意深く見ている人以外は気付かないだろう。ここには作為的なコントロールがある。事故前、「放射能は危険だが、原発には五重の防護があるから安全だ」としていた。

 しかし事故後は「放射能は言われるほど危険ではない」と変えられてしまった。

 放射能が危険でなくなれば、なぜ原発を怖がる必要があるのか。こうして原発事故は「大惨事」から「怖がりすぎる人のノイローゼ問題」にされてしまった。


◆ 原子力独裁


 福島県はせっかく避難した人々を呼び戻すために補償金を打ち切ったり、市町村が学校給食に福島県産の食材を使ったら補助金を支給しようとしている。もちろんゼロベクレルなら問題ないが、日本政府の基準をクリアしても何の保証にもなりはしない。

 上に述べた甲状腺がんを放射能と無関係と公表した御用学者たちを雇っているのも県立の医科大学だ。

 この「福島県」を「チェルノブイリ」と入れ替えると異常さが浮き彫りになる。

「チェルノブイリで健康マラソンが行われ、全国から高校生が集まった」、

「食べて支えようチェルノブイリ運動が広げられ、他地域の人たちもチェルノブイリの食材を食べるようにした」、

「チェルノブイリの高汚染地域で花火祭りが行われ、人々は復興を誓った」と。

 汚染レベルは被害の出ているチェルノブイリ高汚染地域と変わりがないのだ。

 人々の多くは原発を廃炉にすべきと考えているが、政府は原発再稼動をめざして原子力ムラ出身者の集まる「規制委員会」の基準に対してすら、厳しすぎると批判している。津波対策は怪しげながら、少しは改善されるだろう。

 しかし原発事故が地震によるものだったらどうなるか。しかしそれでも原子力ムラの意向に沿って再稼動されようとしている。こうした判断は、常人には理解しがたいものではないだろうか。

 原発は発電していなくてもおカネがかかる。だいたい100億円/年程度だ。湯水の如くカネのかかる福島第一を除いても、50基の原発で5000億円だ。再処理工場も維持費だけで年間1100億円、高速増殖炉もんじゅも200億円。合計毎年6300億円のカネが、発電すらしない原発関連に消えていく。その金額は石油ガスなどの燃料費増加分に匹敵する。

 原発の存在が電気料金を高くしているのだ。だから電力会社は再稼動したがり、政府は補助金を流す。安倍首相は3月8日、「3年でできる限り再生可能エネルギー、技術革新を促すために国家資源を投入し、原子力の代替エネルギーにしていく」と述べた。原発推進の首相にしては奇妙な発言だ。



◆ おカネに滅びるのか

 しかし調べていくと実態は以下のようになっている。太陽光発電の増加は家庭の売電メーターは回しているものの、近くに電力消費がなければロスでほぼ消えてしまう。同じトランスからの電気を共有しているのはわずか4-5軒だ。しかし家庭の消費パターンはほぼ同じだから、発電する日中の電気はほとんど使われずにロスされる。

 しかしそれでも売電用のメーターは回しているから高く買い取られる。しかも電力会社がその費用を負担しているのではない。「再エネ賦課金」として他の消費者から取られているのだ。

 東京都や国はバッテリーに補助金を出そうとしているが、残念ながらそれは電力会社から独立するためではなく、深夜の余剰電力を受けるためだ。深夜に電気が余るなら発電しなければいい。しかし原発だけは深夜だからといって弱火にはできないのだ。だからバッテリーに補助する。深夜の電気を使おうとする電気自動車も同じだ。

 どちらも原子力を温存してしまう仕組みになっている。これは人々におこぼれを与えて黙らせる仕組みだ。

 構造的に捉えると、原子力が起こした災害をきっかけにして、これまで一部の原子力ムラの人々だけの利益にしていたものを、社会全体を原子力ムラにすることで解決しようとしているように見える。

 原発はその負の遺産を、後の世代の子どもたちと過疎と呼ばれる地方に押しつけることで成り立ってきた。しかし過疎地は原子力ムラの末端としてわずかな利益を得ることでムラの協力者となった。それと同じだ。

 これまでは「原子炉メーカー、鉄鋼、ゼネコン、化学業界、大学、マスメディア」など、一部の原子力ムラの人々だけが利益を得る仕組みだった。それをもっと広く、反対者にも利益を与えればいい。自然エネルギーでもバッテリーでも電気自動車でも、原発を止めるには役立たないように牙を抜いて与えればいいのだ。後でこう言えばいい。

「自然エネルギーを伸ばしたが、それでも原発を止めるには至らなかった」と。

 この構造は戦時中、社会全体が戦争に傾き、反対者は異端として排除されたことに似ている。戦争の利益が多くの人に回る仕組みになっていたから、反対者は利益を失わせる存在に見えたのだ。

 本当なら自然エネルギーやバッテリー、電気自動車には社会を変えるだけの力がある。わずかなおこぼれを得て牙を抜かれるのではなく、後の世代の子どもたちのために生かしていく努力をしよう。

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