2012年11月24日

・田中優コラム 「ダム解体の時代へ」

「ダム解体の時代へ」 


▼ 脱原発の裏で進むダム建設

 原発問題がクローズアップされる一方で、こっそり進められているものがダム建設だ。


 かつて象徴的に言われていた西の「川辺川ダム」、東の「八ツ場(やんば)ダム」。川辺川ダムは知事の決定によって一応は止まっているが、八ツ場ダムは推進されている。

 戦後のはげ山から森が回復したことで、流れ出る水はずっと減っているというのに。どこにダムが必要な理由があるというのか。他の地域で進められるダムも推して知るべしだ。

 北海道から沖縄まで、ダム建設が進められる。どれも合理的な理由は見当たらない。見当たるのは地方であえいでいる建設会社のわずかな利益と、原発が作れなくなったゼネコンの利権、政治家たちのだみ声だけだ。


 北海道の静内にある二風谷ダム。堆積した砂によってわずか5年で貯水池が埋まり、そのせいで上流に洪水をもたらし、あてにしていた「苫小牧東部開発(苫東開発)」は企業が来なくて水は売れず、発電もできない。ダムの造られた沙流川は「砂が流れる川」という意味なのだから、最初から埋まることはわかりきっていた。しかしその上流に、さらに役立たない平取ダム建設が計画され、これに対する「有識者会議」は「他の選択肢よりも有利」と答申し、建設されようとしている。

 数年前、レンタカーを借りてダム予定地に出かけてみた。低い山が連なる中、ここしかないだろうと考えて車を停めた谷こそダム予定地だった。

 役立たずに砂で埋まったとき、有識者の皆様には賠償してほしい。北海道のサンルダムも全く同様に意味がない。推進する下川町は、森の保全で名ばかり有名になっているがダム建設で川を壊している。


 
愛知県の豊川には、すでに工業用水道と水害防止、河川維持用水を理由にして設楽(したら)ダムが建設されようとしている。しかし水はこれまでの開発で十分にあるし、水害地点とされる場所ではほとんどダムは役立たない。流域のアユの生息を理由にする「河川維持用水」に至っては、ダムがない方がよほどいい。山口には成瀬ダム、長崎には石木ダム、熊本には立野ダム、全国津々浦々に数限りなくダムが新設されようとしている。


 山形の清流、小国川には意味不明な「穴あきダム」が予定される。穴あきダムは洪水のときだけ水を少しずつ流すためだけのものだ。地元の漁協は完全に拒否しているのにダム建設を止められない。



 「有識者」とは、「思慮も知識もないが、物分りだけはいい」人を指す言葉でしかない。その議事録を見ると驚く。かつて洪水が起きたとされる場所は高台の上だ。川の水が坂を上り、高台に上るというのか。もちろん現実には起きていない。しかしそれを防ぐのにダムが必要で、それが最も安い方法だという。無能な有識者を弾除けにして、官僚・ゼネコン・政治家たちが国土を壊し続けている。




むごい未来を残す開発

 子どもの頃、近所の小川でたくさん遊んだ。魚やシジミを取り、川沿いの林で虫取りしたり栗拾いやクルミを取って遊んだ。ぼくがダムに反対するのは、そこにある生き物たちを追いやるのがいやなのだ。

 ぼくは自分が虫だったらどこに集まるかと考え、魚だったらどうするか考える。その大切な友人たちの棲み家を失わせるのはしてはいけないことだと思うのだ。

 ぼくは保守主義者だ。再生できないのに自然や生き物たちの棲み家を壊し、未来の子どもたちの育つ場を奪っていく。多くの人はすでに清流を知らない。

 たとえば川に入って足元がぬるぬるするのはダムのせいだ。水は貯めると腐ると言われるように、ダムで水を貯めれば水は微生物だらけになる。その微生物が下流の石の周囲で懸命に生き残ろうとするからぬるぬるになるのだ。もはや上流にダムのない川は、全国にほとんどない。

 もっと以前には、川は魚を踏まずに渡ることはできなかった。産卵期になると、遡る魚群によって川は黒く盛り上がり、その魚を狙う動物たちで賑わう場になっていた。海外ならまだ見ることができるが、日本では失われてしまった。

 水生昆虫が多いことが魚を支え、魚が動物を支え、その動物たちが森に養分を届けていく。アイヌは川を海から遡るものと考えるように、山の養分は生き物たちの遡上なのだ。本当はこの美しい景色の話をしたい。しかしいまや失われてしまったのに、子どもたちに伝えたとしても酷なだけだ。そう思うと言葉を失う。


「この水の色、神秘的ね」


『それはダムのせいで水が腐ってしまった色だ』、


「鯉がいるから水がきれいなのね」


『鯉は水が汚れていないといられない魚だ』、


「やっぱり地場のウナギはおいしいわ」


『この皮の厚さは中国産だ。国内のウナギは絶滅寸前、ウナギがおいしいむつ小川原は、六ヶ所村再処理工場からの放射能汚染が見つかっている』…。


ダム建設からダム解体の時代へ


 この秋、産卵のために琵琶湖に遡上するはずのアユの数が以上に少なかった。あちこちで異常に数が少ないと聞く。琵琶湖のアユが各地に放流されているアユの元だ。各地の川はダムや河口堰に阻まれ、自然にアユが遡上できない。

 しかし今年、ダムが解体され始めた球磨川の荒瀬ダムではウナギが戻ってきたそうだ。来年はアユがたくさん遡上しそうだが、その少し上流には瀬戸石ダムがまだ残されている。ダムを造ることより解体すべきなのに、未だに無意味なダム建設が進んでいく。


 全国で水は余っている。人口も減っているのになぜダムを造るのか。いまや発電用のダムは造られていないし、世界的に流れを壊さない小規模水力発電が主流になっている。下流域の治水のためなら、人口集中地域の上流に遊水地を造ればいい。氾濫原だったはずの低湿地は人の住まないエリアに戻せばいい。それは今、アメリカで進められていることだ。


 原発神話は福島原発事故で壊れ始めた。しかしダム神話は未だに根深く根付いたままだ。ダムは安全ではないし、いつかは流れてきた土砂に埋まる。さらに巨大ダムは群発地震を招く。いまや川はどぶに変わり、人々が集える空の広い場所ではなくなってしまった。

 地球は人間のものではないし、ましてやゼネコンや官僚たちのものではない。いまや日本の川の水の半分以上が取水されて管路を通る。その水を川に戻そう。人間は、一時だけ地球に間借りする存在に戻るのがいい。ダムは造るときを終えて、解体すべき時期に入っている。 


(※ 川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています。)