2017年6月8日

『 一問一答~原爆で除染の必要はあったの?~ 』

『 一問一答~原爆で除染の必要はあったの?~ 』


「メルマガ一問一答をきっかけに 」

 「メルマガ一問一答」に質問いただき、ありがとうございます。
 自分だけで書いていると、どうしてもマニアの域に入っていきがちなので、とてもありがたいです。
「京都在住一メルマガ購読者」さん、どうもありがとうございます。

 さて、まず質問をご紹介しましょう。

「福島原発事故の影響で、日本は国土の3%を住めない所としてしまった、と聞きました。米国が落とした広島・長崎の原爆ではそういう「住めない場所」は生じなかったのですか。福島での除染活動の話はよく聞きます。

 しかし、原爆投下によって土地が放射能汚染を受け、除染の必要があったなどという話これまで聞いたことがありませんが、当時の人たちはどうしたのでしょうか」



というものです。


<本当に国土の3%が汚染されたのか>

 このデータは、図のように朝日新聞社が2011年10月11日の記事で集計したものです。ちなみにぼくが説明するときは、「福島原発事故の影響で、日本は国土の3%を住めない所としてしまった」ではなく「住むのに適さない場所にしてしまった」と話すようにしています。



 新聞記事いわく、「東京電力福島第一原発の事故で放出された放射性物質による被曝線量が年1ミリシーベルト以上の地域は、8都県で約1万3千平方キロ(日本の面積の約3%)に及ぶ」そうです。しかし今回の汚染のうち、比較的長く汚染を続けるセシウムで見てみると、半減期(放射性物質の半分が放射線を出して次の元素に移行する時間)が30年のセシウム137が半分と、残り半分は半減期が2年のセシウム134になっています。

 すると2年後の2013年3月11日には、セシウム137はほとんど変わらないが、セシウム134は半分に減っていることになります。したがってその頃には当初の汚染の3/4程度に減っていることになります。


 これをちょっとグラフで示してみましょう。

(グラフはバックナンバーにて公開中)

 半減期が2年のセシウム134は、20年でほぼなくなるので急激に落ちるのですが、その後の汚染は半減期30年のセシウム137中心になりますから、減っていかなくなります。半減期はその10倍すると、1/1000以下になるので、大まかに半減期の10倍で影響がほぼなくなると覚えるのが簡単です。

 環境省は「追加被曝線量が年間1ミリシーベルト以上ある地域を国の責任で除染する」としているのですが、実際にはせっかく除染しても他から放射能が戻ってきてしまうので、効果に疑問があります。やはり高汚染の地域は「居住不能」として除染せず、そのまま時間が経つのを待ち続けるべきです。住む人のリスクが高すぎることもありますし、費用も莫大にかかって、しかも効果が望めないからです。

 しかし現状ではすでに、「除染利権」とでも呼ぶべき利権が発生してしまっています。大手ゼネコンは「これから<少なくとも20年間は仕事に困ることはない」と言っていたりします。ぼくの友人は今回の汚染地の出身で、必死に調べて実験して除染方法を開発したのですが、言われたのは「除染しなくていいんだよ、仕事になるんだから」という言葉でした。

 実際に除染しているのは0.23シーベルト/時(以下同じ)の地域だけです。
元の数値を0.04シーベルトとすると、0.19シーベルトの増加ですから、年間では1.664ミリシーベルトになるのですが、在宅時は被曝量が少ないなどと計算することでこの値にしているようです。



<広島・長崎の原爆汚染>

 さて、それでは質問への回答の核心に入りましょう。

「米国が落とした広島・長崎の原爆ではそういう「住めない場所」は生じなかったのですか。福島での除染活動の話はよく聞きます。しかし、原爆投下によって土地が放射能汚染を受け、除染の必要があったなどという話はこれまで聞いたことがありませんが、当時の人たちはどうしたのでしょうか」



 「なぜ広島・長崎の原爆ではそういう「住めない場所」は生じなかったのか」の答えは「枕崎台風」です。原爆が投下されてから39~41日後に、巨大な台風が長崎・広島の原爆被曝地域を襲ったのです。

 その効果について、以下に秋月辰一郎著『長崎原爆記 被爆医師の証言』の話を紹介したHPがあるので、一部を抜粋して紹介しましょう。
http://btrabo.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-55ba.html


~引用ここから~


2011年5月27日(金)
 しかし、ここに雨と放射能の関係で全く違った事例がある。それは長崎原爆後の雨である。
秋月辰一郎著『長崎原爆記 被爆医師の証言』(平和文庫)(単行本- 010/12)に、8月9日の原爆投下後の二度の大雨のことが記載されている。秋月辰一郎は、長崎原爆で被爆しながら、一人留まり救護所で大勢の被曝患者の手当を続けた医師である。
その著書の中で、原爆後の二度の雨を「救いの雨」と呼んでいる。


◆なぜ救いの雨だったか 
 その雨は、大変な豪雨であったという。  一度目の雨は、九月二日から三日にかけて降り続いた。この二日間の雨量は長崎地方には稀有なものだった。測候所では雨量三百ミリ以上を記録し、長崎地方一帯を水びたしにし、被災者を追い打ちした。
 二度目の雨は、歴史的な大型台風「枕崎台風」の来襲であった。長崎地方は、猛烈な暴風雨に見舞われた。この台風は、九州南端・枕崎に上陸し、九州を南から北に縦断し、山口県と広島県の境を駆け抜けて日本海に去った。 
 秋月医師は、「天主の試練もひどすぎる。もういい加減にしてくれ」心の中で叫んだという。
 しかし、台風通過後に、秋月医師は次のように述べている。
 「不思議なものである。私は他の被爆者たちと台風一過、秋風の中に立った。秋の陽に衣服を乾燥させながら、なにか気持ちがすがすがしかった。これはさきの九月二日の豪雨の後に経験したと同じものであった。いやそれ以上のさわやかさだった。」
 当時ガイガ-測定器など持たない秋月医師であったから、地上の放射能を測定して、台風前後の放射能を比較することはできなかった。しかし、この台風を境にして、急に病院付近の死亡者数が減少したという。  
秋月医師は、「私をはじめ職員の悪心や咽吐、血便も回復した。頭髪も抜けなくなった。」と述べている。 
 後に秋月医師は述べている。 
「この枕崎台風こそ神風であった。次つぎと肉親を奪い去る二次放射性物質、死の灰から被爆地の人びとを救ったのである。」 「被爆後四十日(枕崎台風来襲)にして被害はくいとめられた観があった。」 
 当初、原爆の跡には、七十年間草木は生えない。まして人間は絶対に住めないという噂が流れたという。これは、原爆実験が行われた米国のネバダ州やアリゾナ州のような砂漠・荒野を想定したものと言われる。雨を考えなければ放射性セシウムやストロンチウムなど(半減期が30年)は、70年以上高い放射線を出し続けることになる。 
 この台風後にぞくぞくと訪れた学術研究陣は、「地上の放射能は、西山に少量残っている」と報告している。大部分の放射能は流れ去ったのである。

● 秋月辰一郎(あきづき・たついちろう)
1916年~2005年。長崎市万才町生まれ。当時の浦上第一病院医長。 53年に聖フランシスコ病院医長、86年顧問。爆心地から1.8kmで被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。吉川英治文学賞、ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他。 著書に長崎原爆記、死の同心円 他がある。

~引用ここまで~


<台風の洗浄効果を悪用>

 この「台風後にぞくぞくと訪れた学術研究陣」は、大部分の放射能は流れ去った後の状態を原爆の放射能影響としたのです。さらに日本での放射能影響調査は、隠され否定され禁止されました。その後に続く米ソの対立と核開発競争の中で、放射能の人体への影響は過小評価されることにつながっていきました。その第一がこの台風に洗浄された後の値を利用して、原爆の影響としたのです。

 これを琉球大学理学部教授の矢ケ崎克馬先生は以下のように現しています。
「放射性降下物を無くした方法は、枕崎台風を利用したことです。広島では、床上1m の大洪水の後に、長崎では1300mm の豪雨の後に測定した放射線強度を用いて「始めから放射性の埃はこれだけしか無かった」(DS86)としました」

(図はバックナンバーにて公開中)


 放射能のチリがなかったということになっているのですから、それに比例して原爆爆発時の放射性物質もなかったことにされました。流されてしまっていますから、爆心地から2キロより遠い場所に住む人たちは放射線を浴びていなかったことにされたのです。さらにチリがないのですから、放射能を体内に取り込むことで起きる「内部被曝」もなかったことにされました。

 その調査をしたのがアメリカの原爆傷害調査研究所(ABCC)で、被害の事実から内部被曝を除いて統計処理したのです。これが現在の放射線の被曝基準に使われています。


 その後にこのABCCの仕事は、日本国内の放射線影響研究所(放影研)に引き継がれました。国内で放射能は問題ないと言っている御用学者のボスには、いつもこの放影研の人たちがいるのもそのせいです。

 このデータが、アメリカの国内委員会である防護委員会から発展したICRP(国際放射線防護委員会)の基になりました。日本基準よりはずっと厳しい数値を取っているICRPですが、そのデータはもともとのところに虚偽があるのです。

 だから現実の被害は、国内で言われているものよりははるかに大きく、ICRPの数値よりももっと大きくなります。


 おそらくはアメリカのゴフマン博士の作った「ゴフマン値」を越えるのではないかと考えられます。ゴフマン博士はアメリカ政府の依頼を受けて「低レベルの放射線の影響」を調査し、その結果が政府の意向に沿わなかったことから中止させられた研究者です。





 このグラフの「1万人・ミリシーベルト」というのは、「一年間に1ミリシーベルトずつ1万人が被曝した場合」を示します。「10万人が0.1ミリシーベルト」でも、「1000人が10ミリシーベル」でも被害者数は同じになります。その計算の仕方を「人・ミリシーベルト」とするのです。


 たとえば日本では、今20ミリシーベルトも被曝量のある地域に人々が戻されていますが、それが1万人いた場合、「20万人・ミリシーベルト」となって、グラフの数字の20倍がガン死することになります。


 0歳の子どもは150人のガン死者数ですから、3000人が死ぬことになります。
ICRPで計算した場合は1万人当たり5人としていますから、100人がガン死することになります。この小さく計算される「ICRPの基準」こそ、広島・長崎の隠蔽されたデータによるものなのです。

 さらにこの隠蔽は、日本政府により「被爆者認定基準」に利用されました。
それに闘い続け、勝訴し続けた矢ケ崎先生は、こう述べています。


~ここから引用~

「被爆者認定基準」は本当の被曝実相を反映していません。多くの疾病に苦しむ被爆者は「あなたは放射線には被曝していません」と切り捨てられ続けました。 
原爆症認定集団訴訟では全ての判決で、内部被曝が認められましたが、ICRPに従う(国や)多くの機関や「科学者」はこの結果を受け入れていないのが日本の悲劇です。 
 現に進行している福島原発による被曝の見方は大きく歪められています。被爆者が味わった苦しみを「福島」で再現すべきではありません。
http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-11322128194.html

~ここまで引用~


<この程度の放射能汚染は経験済み?>

 しかし福島原発の放射能程度は、大気圏核実験がさかんに行われた1960年代に経験済みだから、たいしたことはないという人もいます。しかしそんなことはありません。

(グラフはバックナンバーにて公開中)

 これは気象研究所が作成した放射能の降った量のグラフです。確かに1960年前半にかなり多い量の放射能が降ったことがわかります。しかしその後はずっと下がっていたのですが、1986年のチェルノブイリのときに、突出して核実験の最大時並の放射能が降っていたことがわかります。しかし今回の放射能の量は、1960年代よりも2マスほど高いところに位置していますね。このグラフは対数グラフですから、2マスは100倍を意味します。


 しかもここで調べられているのはセシウム137とストロンチウム90です。今回の福島原発事故ではセシウム137とほぼ同量のセシウム134が放出されていますからその倍になります。

 つまり今回の放射能が降ったレベルは、大気圏核実験時の最大レベルの200倍程度ということになります。だから未経験のレベルだと言えるのです。


<政府のプロパガンダを信じないで>


 日本が経験した原爆被曝のときには、台風が放射能を洗い流していたのです。だから特に除染する必要もなかったんですね。しかも当時は放射能測定器もありませんでした。だから秋月医師は体感で感じていたわけです。放射能は感じることができませんから、自分の体の反応のほうを感じていたのでしょう。

 ところが福島原発は、台風がひどく襲う地域ではありませんでした。だから汚染がそのままなわけです。もっとも原発には蓋がない状態ですから、台風が来たら何が起きるかわかりませんから、幸いするとばかりは言えませんが。


 そしてもうひとつ、このことが原爆被害の隠蔽に使われたのです。そのために国内の多くの被爆者が認定を受けられず、苦しみを強いられたのです。その後、この隠蔽されたデータが、世界の放射能の安全(正しくは受忍)基準に使われていきました。そう、今言われている被害のレベルは、現実のものより桁違いに過小評価されていることになります。

 少なくとも国の言うことよりは、はるかにちゃんと対策する必要がありますね。


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