2014年4月24日

『国家主義を超えて人が生きられる社会に』

田中優無料メルマガ“持続する志” 第326号 2014.4.22発行より
※このメルマガは転送転載、大歓迎です。 http://www.mag2.com/m/0000251633.html □◆ 田中 優 より ◇■□■□ 『国家主義を超えて人が生きられる社会に』
 軍事国家へ 「国家主義は何よりもまず国家を人間の社会結合の中で最高のものと考 える立場を指す。したがってそれは単に国家の存在を肯定するにとどま らず、他の主張に対して国家の最高性を攻撃的に擁護する」 (コトバンクより抜粋)。  中国の経済拡大が著しい。世界貿易機関(WTO)の貿易統計によれ ば2013年の中国のモノの貿易総額は423兆円と、アメリカを抜いて世 界一になったそうだ。  そうなると内心穏やかでないのが一般的な日本人の心理だろう。アメ リカが「世界の警察官」を自認して内政干渉を繰り返し、ナチスドイツ がドイツ人の血の優越性を言い、日本が神の国を自認し中国が中華思想 を持つように、どこの国にでも起こることだ。その考え方からは、下に 見ていた国が自分より大きくなるのは気持ちの良い話ではないからだろ う。それを利用してはびこるのが「国家主義」だ。  経済や貿易を拡大するために必要なのは良いものを作ることではなく、 市場を大きくすることだ。これまでのGDPの拡大にしても、勝ち組は大 きな市場を持っていて大量生産で生産コストを下げられたからだった。  だから戦後の日本とアメリカ、次いでEC、NAFTA、EU拡大、TPPと、市場 のサイズの拡大競争が続くのだ。だから中国が世界一の貿易額を記録して も何の不思議もない。  中でも売れ残りなく生産品のすべてを販売できるものがある。それが兵 器だ。その魅力に取りつかれれば、文字通り戦争を作ってでも兵器を売り たくなる。ところが日本は武器輸出三原則の縛りがあってこれまで公然と 売ることができなかった。それが「武器輸出新原則」で自由になろうとし ている。 今後は (1)国際的な平和や安全の維持を妨げることが明らかな場合は移転しない (2)移転を認める場合を限定し、厳格に審査し情報公開を図る (3)目的外使用や第三国への移転は適正管理が確保される場合に限定する となる。  こうした流れはすでに「宇宙基本法」で作られていた。宇宙の基本を決 めるという壮大な名の法律だが、実際には宇宙軍事開発を目的にしたもの だ。なぜ日本が参加したがるかといえば、日本の軍需産業が得意とするミ サイル、電子技術などを生かせるからだ。  あまり知られていないが世界の軍需産業トップ100の中に日本企業は6 社ある。 上から順に『()内は順位』、 三菱重工(29)、NEC(45)、川崎重工(51)、三菱電子(55)、 DSN(スカパーJSAT、NEC、NTTコミュケーションズ3社の共同出資会社56)、 石川島播磨重工(76)だ。これまでは東芝が入っていたが、トップ100から は漏れた。  これらの企業には他国には見られない特徴がある。それは売上げ全体に 対する軍事物資の比率が5%前後と低いことだ(ストックホルム国際平和 研究所データ)。大手を振って軍事で儲けられないことが日本の軍需産業 の弱点だった。そこに門戸を開くのが今回の「武器輸出新原則」だ。 国家主義の浸透  こうした国家主義と軍事が結びつくことが戦争の危険を高めることは自 明だ。同時に政府開発援助(ODA)も転換されようとしている。  「安倍政権は、途上国援助の軍事目的での使用を禁じた規定を見直し、 外国軍への支援を可能にする方向で検討に入った」そうだ。「自由や民主 主義、人権といった普遍的な価値を推進するため、安全保障分野でもOD Aが役割を果たしていく」という言葉は、まるでアメリカのようだ。  これまで「軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する(1992年、 ODA大綱)」と規定し、ODAで軍事支援をしないようにしてきた。もち ろん軍人の育成はODAの対象ではなかった。この「ODA大綱」自体、 NGOの長年の圧力の結果として制定されたものだった。  ところがこれを変えられようとしている。軍事援助に道を開き、軍人の 訓練もまたODAで解禁されようとする。これまで日本の援助の評価が予 想ほど低くなかったのは、軍事援助がなかったからではないか。援助を受 ける国の側から見たら、それは良心的に見えただろう。しかしそれがなく なる。  それによって厳しい視線が向けられるのは日本政府だけではない。 日本の支援活動をするNGOもまた、同様の視線を向けられるのだ。  だがこの問題に対するNGOの感度は低い。今すでに政府からの圧力は 始まっている。たとえば日本のODA資金を使えば「政府資金を投じたの だから日の丸国旗を掲げるように」と言われ、治安の良くない国への渡航 は外務省からの圧力を受ける。  NGOの支援活動も、政府の「国別援助方針」に合致していることを明 記させようとする。さらにはNGOスタッフの個人情報が外務省から防衛 庁に提供されていたこともある。ただし情報提供の件では政府側が謝罪し 中止されたが。  こうした国家主義的な政府とNGOスタッフが同一視されることになれ ば、危険になるのは避けられない。 国家を超えて地球の市民に  NGOは「政府ではない組織」の意味だ。NGOは国と国の結びつきで はなく、国を超えて人と人の結びつきを作ろうとしている。当然政府とは 違う目的を持ち、政府の利益よりも地域の人の利益を守ろうとする。  たとえば日本のODAに支援された日本企業の活動にも、地域の人々の 利益を脅かすのならNGOは立ち向かう。そうした事例もこれまでに枚挙 に暇がないほど存在する。  ところが現在では、政府から独立した団体(NGO)というよりも、 政府のための組織(FGO=For Government Organization)に脱しようと している。  大事なのは政府ではなく、そこに住む人々の暮らしなのに。かつて 「ODA大綱」を求めた時代とは違い、多くのスタッフが抵抗なく政府の 指示に従ってしまうようになったように見える。  これはNGOの自己崩壊ではないか。  国民としてではなく、誰もが一人の人間として認められる社会にしたい。 どんな国に住む人も能力に優劣はない。どこでも人々は与えられた自然や社 会の条件の中で、最大限生きる努力を続けている。  それを国という檻でくくって捉え、さらには軍事力で従わさせる社会など もってのほかだ。欲しいのは人が人として生きられる社会なのだ。 ( 川崎市職員労働組合様へ寄稿したものを、好意を得て転載しています。)