2012年10月31日
「みんなで決めよう原発国民投票」への田中優メッセージ
私たちは選挙によってどうしたいかを選ぶことができる。「投票箱の民主主義」だ。
そのときの判断基準は何だろうか。
「未来の日本をこうしたい」とか、「税金をこう使いたい」というものだろうか。
民主党のように政策マニフェストを作っておきながら、マニフェストは実現せずに書いてないことばかり実現するのは言語道断だが、ごった煮になった政策では、実現したいものとそうでないものが混じってしまう。
ここから「選びたい政党がない」という言葉が生まれ、「投票箱の民主主義」までをも否定してしまう。特に若い人たちが投票に行かなくなる。
それは「主体的に生きていくつもりはないから、どうにでもしてくれ」と白紙委任しているのと同じだ。
一方で政策選択は、「まとめてセットで」というわけにはいかない。「脱原発を言っているけどファシズム」と、「原発に反対していないけど民主主義者」のどちらを選べばいいのか。「究極の選択」だ。毒と薬は合わせて飲めない。選択は、それぞれを単独で選びたい。
そこに必要なのが「国民投票」という仕組みだ。しかし領土問題や紛争のように、人々が感情的になりやすい問題をどうしたらいいだろう。ここから国民投票を否定することはたやすいが、それは一方で政府の機能不全に期待していることでもある。
やはり人々の民度に期待すべきだと思う。人々が感情だけで決定しないように、不断の「民際交流」で敵意をなくしていくべきだ。今やEU内でドイツとフランスが戦争するとは誰も考えないだろう。こうした仕組みを作る努力が必要なのだ。
よく「人々が原発を支えてきた」と言われるが、実際には一度も聞かれていない。
福島で現実になったように、何十万人の人々の暮らしを台無しにするほど危険な選択だったのに。政策セットとしては選んだかもしれない。しかし実際には「投票詐欺」ではなかったか。意図を隠したまま、言葉だけ「懸念する、安全性を重視する」というような。
正しい判断をするには、情報が決定的に重要だ。メディアはいつも人々の意識を操作する。福島県内では「ここに住むのは危険だ」、「食べ物には注意したほうがいい」と言うのは難しい。郷土愛に反するかのように情報操作されているからだ。
その一方で、だまされない人たちもたくさんいる。インターネットやSNSの情報が、情報操作を覆していくからだ。
社会を変えるのはヒーローであってはならない。それではファシズムと同じだからだ。のろまで愚かしく思えても、社会は人々の力で変革されなければならない。
人々の力を信じ、人々と共に時代を変えていくのだ。
だから、原発の存続を決するのは「国民投票」をするのがいい。(田中優)
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「原発国民投票」HP http://kokumintohyo.com/archives/5835