2015年3月7日

原発が爆発。「もう、戻れないな」と思った 大塚尚幹さん


田中優より

「この人が(自エネ組代表でもある)大塚尚幹(しょうかん)さんです。
よく「大塚商会」と聞き取り間違いされますが。
とても良い人です。」









★東日本大震災4年:

「原発が爆発。もう戻れないなと思った」

(朝日新聞岡山版 3月6日)


【ミニインタビュー】

福島県川内村で自給自足生活をしていた1級建築士の
大塚尚幹さん(42)は、
家族4人で妻の実家がある岡山に来た。

    ◇    ◇    ◇

2011年3月11日、東日本大震災が起きた午後2時46分には、
事務所にいました。

オフィスがぐちゃぐちゃ。

買ったばかりの複合機を抱きかかえていたら、僕ごと宙に浮きました。


家族が心配で、約1時間かけて家にたどり着くと、額縁が二つ落ちただけ。
柱を直接地面に埋めて固定する「掘っ立て基礎」だったから、
揺れのエネルギーをうまいこと逃がす免震効果が
あったようです。


五右衛門風呂をわかしていたら、

5時のニュースで
「原発の冷却機能停止」と流れました。


血の気が引いて。



午後9時半ごろに車で逃げ出しました。

翌12日の夕方、原発が爆発。



「もう、戻れないな」
と思いました。


 12年、岡山市北区の山あいにエコ住宅の建築事務所を開きました。

電力会社に頼らず、自分で発電・蓄電をする独立電源設備の依頼が
全国から来ています。(聞き手・中村通子)

    ◇    ◇    ◇

おおつか・しょうかん:避難してきた時は4人だった家族に、
5カ月前、新しく1人加わった。

この子のふるさとは岡山になる。