2014年2月27日

『 「勝てる候補」でいいのか 』

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田中優の“持続する志”
優さんメルマガ 第307号
2014.2.20発行
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□◆ 田中 優 より ◇■□■□

『 「勝てる候補」でいいのか 』



■残念な誕生日  


 都知事選の翌日はぼくの57歳の誕生日だった。 予測していた通り、暗い気持ちで迎えることになった。  

 舛添氏は考え得る最低の選択だった。原発の広告塔をしていたのに「ぼくも脱原発」と言い、被害者を出し続ける子宮頸がんワクチンを導入した人であり、母の介護をしてきたというのも雑誌の記事によると虚偽で、しかも短気で怒りっぽい割にこの件の真偽を訴訟で争うことをしていない。  

 政党助成金の使途も不明で選挙戦でオリンピックの3000円のバッジを配った。さらに離婚再婚婚外子に加えて女性蔑視の発言を繰り返す。  

 しかしそれでも人気がある。「テレビで見たことがある」というのが最大の要因だ。加齢に比例して舛添氏支持が多くなり、20代で36%、70歳以上で は55%が投票している。しかもテレビは原発問題を、意図的に外した。  

 ぼく自身は選挙が終わるまで、黙ることを決めた。50年以上ずっと東京近辺に住んできたが今や都民ではない。請われれば発言するにせよ、脱原発を主張するどちらの陣営に対しても積極的に関わらないことがエチケットだと考えたからだ。 


 ■候補者、一本化問題

 都知事選に、保守に対する対抗馬として当初から宇都宮氏が名乗りを上げていた。ところが後に細川元首相が小泉元首相と組んで、「原発即時廃止」を訴えて立候補するに至って混乱した。混乱したのはそれまで宇都宮氏を応援していた陣営の一部が、「勝てる候補だ」として色めき立ったためだった。  


 宇都宮氏が元日弁連会長だと言っても知名度は乏しい。テレビに登場してコメンターになるわけではないからだ。ここから「勝てる候補への一本化を」という流れが起き、それが実現しないことから批判合戦になってしまった。  

 ぼくは前回も宇都宮氏を応援演説していたから、当初から宇都宮氏を応援していた。しかし「勝てる候補に一本化を」と言われて悩んだ。細川陣営の主張を調べる限り怪しいところはなく、むしろ好感を覚える。しかし最大の難点は「勝てる候補だから応援する」という発想を認めてしまっていいかどうかだった。  

 結果として舛添氏が勝利したとおり、勝てる候補の条件とは「中身はどんなでもよく、テレビによく出る芸人」であることだ。これを認めてしまえば、今後も方針の一致するテレビ芸人が出てくれば、「勝てる候補」を応援しなければならなくなる。  

 そこでは「『脱原発候補二人の得票数を足したら上回った』なんて選挙はもう要らない、勝てる候補者に投票しなければ意味がない」と言われていた。  

 ふと思う。これは民主主義の否定ではないのかと。  

 結果は二人を足しても舛添氏に足りなかった。ぼくが宇都宮氏支持を変えないために、「選挙は冷徹な事実だ、冷静な判断をすべきだ」とも言われた。 
 ぼく自身は冷徹に分析した結果、二人を足しても勝てないと判断していた。  

 「当日の雪のせいで投票率が低かったせいだ」という人もいるが、「脱原 発・安倍政権不支持が焦点」と考える人たちが本当に雪にくじけて投票に行かなくなるのか。  

 今回の選挙では「左翼・保守」の違いが言われた。「宇都宮氏は応援できない人も、細川氏は保守系の脱原発の人たちの結集軸になる」という意見だ。 宇都宮氏を支援した政党が共産党と社民党であったために、共産党のシンパ であるかのような非難もされていた。  

 いや、宇都宮氏が日弁連会長の選挙を競ったのは共産党支持者だった。単に宇都宮氏が支持してくれる政党を、ありがたいと考えても、特別な理由がなければ断らない方針でいたのだだけのことなのだ。  

 仮に一本化されたとしても、宇都宮氏が保守系の受け皿にならないことはもちろん、細川氏が左派系の受け皿にもなれなかっただろう。今回脱原発側が二人合計で193万票、舛添氏が211万票だったが、一本化していたならおそらく、二人合計の数はもって減っていたはずだ。しかし蓋を開けてみれば「勝てる候補」のはずの細川氏の得票数の方が、宇都宮氏の得票数より少なかった。 


 ■勝てる候補者=テレビ芸人  

 ぼく自身は左翼のつもりはない。ただ現実の問題を考えれば社会を改革し なければならないと判断するから、変えようとしている。  

 それは自分の判断だ。さらにぼく個人への批判があった。「放射能被害者の問題を考えるなら、原発問題を第一の問題として掲げる議員を支持すべきではないか」というものだ。これはまさに26年前にぼく自身が感じていたことだ。チェルノブイリ原発事故の後、それ以外のすべての論点は無駄にしか思えなかった。  

 そのときある議員がぼくに言った。 「障害のある人にとって障害の問題は最大の焦点だし、貧困にあえぐ人にとって福祉政策は最大焦点だ。どんなに重要課題だとしても、その人にとっての最重要課題はその人が決めるものだ」と。  

 宇都宮氏が貧困対策に弁護士人生のほとんどを賭けてきて、多くのことを成し遂げてきたのに、そのすべてを放棄して脱原発一本化で辞退しろと言うのか。彼に助けられた多くの人は、支持できる候補者をなくしても仕方ないのだろうか。それこそ社会的被害者のことを考えていないのではないのか。  

 ぼくは前回の都知事選に宇都宮氏が出馬してくれたことを、今でも感謝している。その宇都宮氏がテレビ以外で知名度を上げていこうとすれば、選挙に出続けるしかない。ところが市民側は毎回誰かを立たせて負けて、次には「勝てる候補ではない」と推さなくなる。候補者は使い捨てで、テレビ芸人探しに明け暮れる。それが民主主義なのか?  

 細川・小泉氏の問題ではない。陣営支持者の問題だ。細川氏は有名人ではあるものの、テレビ芸人ではなかったから得票が伸びなかった。次はどうすべきだろうか。彼らを推し続けるのか、それとも次なるテレビ芸人を探すの か。宇都宮氏がしているように、若い参加者を主体的に関わらせ、有名人でない人が当選できるようにするまで進めるのが民主主義ではないのか。 

  「今回が最後のチャンスだ、先はない」と言ってきた人たちは、結果が出てしまった今日から、どう生きるのだろうか。