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http://archive.mag2.com/0000251633/20130429112035000.htmlより
『 毎日ワクワクできる「生活の百姓」に 』
▼ 生きる意味を感じない社会
国家公務員一般労働組合のブログ「すくらむ」に、就職できずに自殺した「就活自殺」のデータがまとめられている。この三年間、毎年50人以上が自殺している。
それだけでなく2011年からは学生・生徒の自殺もまた毎年1000人を超えるようになった。年代で最も自殺死亡率が多いのが20代で、続いて30代、次が19歳以下になっている。年々増え続けているのが「勤務問題が原因の自殺」で、2007年時点と比較して22%も増加している。
ブラック企業だけでなく、人減らしで仕事がきつくなり、効率的に仕事のできない人への風当たりが強まっているのだと思う。
なんと住みづらい社会を作ってしまったのだろうか。せっかく育てた我が子に自殺されることは、想像するだけでも身の毛がよだつ。政府は近年「自殺対策白書」を作ったが、少子化問題と同じで肝心の企業への規制を打ち出さないのだから解決には向かわない。
若者は未来に絶望し始めている。その子を責めることは簡単だが、本当のところ、私たちの社会は絶望的ではないと言えるだろうか。未来にワクワクできるから生きていける。
でも正直なところ、未来にワクワクして生きている人がどれだけいるだろうか。
▼ 自分で決めれば後悔しない
本を書いたり大学で教えたりしているせいか、私自身をエリートと勘違いする人も少なくない。全然違うのだ。
原発を推進する人たちが、私を誹謗するために「夜間大学を差別するわけではないが、田中優は夜間大学しか出ていない」とツイッターに書いていた。
それは事実だが、その人は調べが足りない。私は高校すら中退していて卒業できていない。「大学入学資格検定(今は「高等学校卒業程度認定試験」という)」で大学入学資格を得ただけで、卒業できていないのだ。ついでに言うと、最後にもらった夜間高校の通信簿には「落第」と書かれていた。
その頃の私は日本中を旅してばかりいた。出席時数を計算しながら、三分の一は欠席してバイトで得たお金で貧乏旅行を続けていた。15歳から17歳までの間、たったひとりでテントを担いで歩きまわっていた。
昼間が暑ければ深夜に歩き、ランタンの灯りで文庫本を読み、何かをつかみたくて放浪していた。危険な目に遭ってもやめる気にならなかったのは、こんなことのせいだと自分で思っていた。
「今は大自然の中にいて、その美しさに感動する。おそらく大人になれば、こんな感性を持つことはできないだろう。旅するのは大人になってからでは無意味だ。今の時点で旅しなければ得られない。教室の中にいたのではダメになる」と。自己正当化と言えばそうかもしれない。
しかし自分で決めて動くことに後悔はないのだ。
惜しくも計算違いのせいで退学になったり落第になったりした。もちろん自分のことは人間のクズだと思っていた。まともに学校も行けず、仕事も長続きできないのだから。
▼ 離陸
大学は楽しかった。「もう辞めよう」と思っていた一年生の終わり、学生運動が後期試験を中止させた。そして自宅に「至急レポートを提出せよ」と小包が送られてきた。見ると課題図書を読んでレポートを書くだけのことだ。好き勝手に読んで書いた。驚いたことに、すべてのレポートが高く評価されていた。自分の思い通りに書いて評価されたのは初めてのことだ。
それまでいつも、「そうは教えていない」と否定されるばかりだったからだ。そこから学ぶことの楽しさに火がついた。卒業までに二回卒業できるほどの単位を取り、卒業するとそれまで5年勤めた地方公務員を退職し(高卒前に高卒程度で就職していた)、そのまま朝から晩まで大学の図書館で学び続けた。
翌年、国家公務員を蹴って再び地方公務員になった。仕事の奴隷になりたくなくて選択した。中卒で町工場に勤めていた頃、昼休みもなく社長の車を洗わされていた。賃金以上に働いた分は社長のポケットに入るのだ。仕事をまじめにした分が、住民の利益になる方がよほどいいと思った。同僚からは人気があったが、上司の評価は芳しくなかっただろう。
仕事はするが、服従しないからだ。仕事に魂を売った訳ではないのだから、自分が必要だと信じる活動を続けた。やがて兼業許可を得てする副業(講演や出版)の収入が本業と並ぶまでになり、区を早期退職した。
▼ 生活の百姓
以前書いたとおり、今は岡山県に越して電気も水道も自給する暮らしをしている。しかしトイレは水洗だし、晴れた日には電気が余るほどあって、何ひとつ我慢はしていない。東京にいたとき、家賃は12万円だった。今は古民家つきの住まいなので家賃もかからない。時折、近所の人が野菜を持ってきてくれる。
おカネを尺度にしない安心できる暮らしがある。ある友人は相手の家に出かけて料理する「ケータリング」の仕事をしている。彼もまた多くを自給しているので、月に25日以上は休めると言っていた。
私たちの社会は労働生産性も上がり、以前より少ない労働で多くを生産できるようになったはずだ。その余暇はどこに搾取されてしまったのか。その答えはデフレにあった。その分だけ生産用具が安くなり、自ら生産するならゆっくりと暮らせる社会にもなっていたのだ。
おカネに依存してサラリーだけで暮らそうとするのは、実はリスクが高い。会社をクビになるなり倒産するなりしたら自殺するしかなくなるからだ。
リスクの低い暮らしはさまざまな収入源を持つ、「生活の百姓」になることだ。百姓とは百の生業を持つことを指す。だからひとつが不作でも、残りの99の生業で安定して暮らせるのだ。
そんな暮らしを実現してはどうだろうか。今の私なら、有料メルマガの読者からいただいている購読料だけで暮らせるだろう。それを超える収入は、次の自給のために支出していける。次はあり余る電気で自動車を走らせたいのだ。
こうして暮らすとき、未来はワクワクできるものになる。自殺する前に若い人に、こんな暮らしのあることを伝えたい。
写真は岡山へ移住後の2013年2月岡山後楽園にて
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★田中優があまり語ることのない学生時代、現在までの活動などのお話は
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第6号 「本当の履歴書(前編)」(2012.2.15)
第7号 「本当の履歴書(後編)」(2012.2.16)
にもより詳しく掲載されています。意外なエピソードがたくさんです。
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