□◆ 田中 優 より ◇■□■□◆
2016年、「ここで死んだら最低だな」と思うことが二回あった。
一つは一年間待ち続けた家の建築が終わり、入居するときだ。岡山に越して三年、やっとのことで念願の天然住宅仕様の家を建て、自分の理想とする住宅に入居した。待つ間、「ここで死んでしまったら意味ないよなぁ」と思っていた。
もう一回は念願の低公害ディーゼル車を手に入れ、その納車まで一か月ほど待っていたときだ。それまで車を選ぶのは、ある意味「そこそこ」だった。そこそこの値段でそこそこのデザイン、そこそこの燃費などの妥協で選んでいた。ところが今回だけは「この車が欲しい」と思った。それを待つ間、ここで死んだら間抜けだと思った。
どちらのときも死ななかった。特に死が間近に迫っているわけではない。だけどなぜかいつも死ぬことを考える。おやつを目の前にしながら、ご主人に「待て」と言われたままよだれを垂らしながら待つ犬のようだと思う。そこでご主人が突然死してしまったら、犬は待ち続けて餓死するのかな。なんだかそんな気持ちになるのだ。
でもそれは幸せな時間なんだろう。心臓発作で死ぬまでの時間にそんな余裕はないし、楽しみなことでなければ「心待ちにする」こともない。
そして今日、2017年の元旦を迎えた。2017年は2011年の原発事故から6年目だ。
チェルノブイリでは原発事故の6年後から多くの病気が発生した。特に心臓病などの循環器系の病が多発した。原発事故による放射能の晩発被害だ。「直ちに影響の出るレベルではない」という言葉は「後から影響の出るレベルだ」と言い換えられる。
では「いつ?」の答えがチェルノブイリでは6年後だったのだ。
危険なのはガンが多発することではなく、免疫などの機能が弱まり疾病が多発する被害だ。多くの人が「放射能なんて気にする必要もない」と言う中、チェルノブイリでは6年後に大きな健康被害が出た。そう発言するたび、原発推進派の人からの攻撃も受けた。そのたびに歯を食いしばって「6年後を見ていろ」と思っていた。
だけど実際に6年経ってみると、もうそんな気もしない。被害は雨のように等しく人々に降り注ぐ。攻撃をしてきた人にもそうでない人にも。最後の床に就いて悔いる人もいるだろうし、あくまで関係ないと言う人もいるだろう。どちらにしても被害は降り注ぐ。
新潟県の米山隆一知事が今年1月4日の記者会見で、県が独自に検証している「東京電力福島第1原発事故、技術委員会」とは別に、福島事故による「健康への影響と、県の柏崎刈羽原発の避難計画」を検証する委員会を設置して、年度内にも概要を示す方針を立てたそうだ。もし原発事故が健康に被害を及ぼさないなら、ぼくは原発反対を言わなくてもいい。
2014年までの「人口動態統計」を見る限り、事故後に大きな変化はない。しかしそれはチェルノブイリでも同様だった。変化が出始めるのが早ければ2016年の終わりから、おそらく2017年から数値に大きな変化が出るはずだ。できれば変化なく進んでほしい。ぼくが長年住んでいて、たくさんの友人がいるのが東京なのだ。自分の子どもたちも、小さな孫たちも住んでいる。予測は外れてほしい。
でも主観的希望と客観的事実は混同してはならない。違いもいろいろある。
日本の土壌が若いおかげで放射能の作物への移行が少なくてすんでいる、チェルノブイリと違って、日本人は海草を食べているおかげでヨウ素不足の人が少ない。でも福島での小児甲状腺がんの発生数を見ると、それすら些細な差に過ぎなかったように見える。
健康に大きく影響するのが内部被ばくだ。外側から放射線を浴びるよりも、体内に取り込んでしまった放射性物質の方が距離が近い分だけ大きく影響する。しかも体内で分散せず、特定臓器に貯まってそこから放射線を発する。たったひとつの臓器を失うだけで人間は生きていけなくなるのに。セシウムは筋肉に貯まり、新陳代謝の少ない筋肉の塊である心臓を攻撃する。血液に入り込めば白血球やリンパ球を攻撃する。だから食べ物や空気に気をつけた人と、そうでない人では大きな違いが出るのだ。
それが原発を止めていく力になるだろうか。かつて原発反対の運動をしていると、「日本にもチェルノブイリ級の事故が起きないと原発は止められない」という言葉をよく聞いた。しかし実際はそれでも止まらなかった。
要は人々が、自分自身と自分の大事な人を守ろうと行動するかどうかがカギなのだろう。2017年、大きな健康被害が出たら人々はそうするだろうか。そのタイミングが来るならともに動きたい。どんなに焦っても社会は一人では変えられないのだから。
これまでにない別な暮らし方なら、いろいろ実現してみた。電気を自給する暮らし、戦争の原因となる化石燃料に頼らない暮らし、そしておカネに頼らずに暮らす仕組みだ。
2011年の事故から6年経った。2017年は、そんな実験で実現したことを、役立てられるようになりたい。これまでしてきたことは、別な暮らしを実現するための実験だった。その実験が役立てられないと、「ここで死んだら最低だな」と思うだろう。
最低の「間抜け」になるのは、死ぬまでに原発をなくせないことだ。その先の暮らしが大変なものでないと知ってもらうなら、気づいた人は行動し始めるだろう。
「間抜け」にならない人生にしたい。2017年、そのための大きな節目の年を迎える。
2017.1.7発行 田中優無料メルマガより