2011年4月21日

未来をあきらめない ~田中優より~

□◆ 田中 優 より ◇■□■□◆◇◆◇■□■□


「未来をあきらめない」


2011年、福島第一原発災害

 マグニチュード9.0という大きな地震が東北地方と北関東を襲った。それに伴って大津波が東北を中心に襲いかかり、2万人を超えるほどの犠牲者を生みだした。それだけでも十分に大災害であったのに、加えて東京電力の福島第一原子力発電所が冷却のための電源を失って水素爆発事故を起こし、広範囲に放射能汚染をもたらすことになった。しかもその事態は今なお継続し、終わりのない悪夢のような放射能の恐怖がせっかくの春を暗いものにしている。


このときを迎えて

 その日からぼくの生活は異常なほど忙しいものになった。それまでに決まっていた講演会は次々とキャンセルされていく一方で、新たな講演依頼が続々と届く。今も講演旅行の途中で、ほとんど自宅に帰ることができない。もともとがチェルノブイリ原発事故をきっかけにして環境運動に関わり、25年間もずっと気にし続けていたおかげで、原子力発電の問題にも詳しかった。これまでもずっと長年、地震のニュースが流れるたびに「あの原発は大丈夫だろうか」と心配してきた。原発の耐えられる瞬間的な揺れの加速度「ガル」で見ると、阪神淡路大震災のときの820ガルに耐えられる原発は日本にひとつもない。最大が東海地震が起こる震源地になる真上に建っている浜岡原発の600ガルなのだから。

 だから今回の事故が起きた時に驚きはしなかった。即座にぼくが考えたのは、この事態にどう対策すべきだろうかということだけだった。怒りもなければ悲しみもなかった。ついにこのときが来てしまったというあきらめに似た気持になっただけだった。


活動

 しかしそこからの動きは早かった。翌日の夜には大阪に行き、日曜日には1300人の前で東電原発震災の話をしていた。東京に戻ってアースデイの会見ビデオを取り、翌日には再び大阪で500人の前で話した。ap bankの小林さんと大阪で対談した記事がアップされ、大阪のミュージシャンの「まーちゃん」と被災地からの避難者の受入れを準備した。以降、休みなく講演会を全国で続けながら、被災地の物資支援を天然住宅で手配し、さらに現在、「仮設じゃない復興住宅」のプロジェクトを進めている。天然住宅の木材を供給している栗駒木材が、揺れの最も大きかった宮城県栗原市にあったからだ。しかし電話がやっと通じると、栗駒木材はもうとっくに被災者支援を始めていた。そこからさらに気仙沼の支援に入る。寒さの中、小さな発電機で働くペレットストーブはとても喜ばれた。

 わずか一月の間に数えられないほどの講演をし、ユーチューブにはたくさんの講演がアップされていった。政治家と対談し、本を執筆しながらメディアの無茶な要求に応えていく。今なお講演旅行中だがその中でふと考える。「なぜぼくなのだろうか」ということだ。学者でも専門家でもないただの市民活動家にすぎないのに、これほど求められるのだろうかと。


篤農家の自死から考える

 つらかったニュースがある。福島で無農薬・有機栽培でキャベツを育てていた篤農家が自殺した話だ。安全なキャベツを作り、近くの小学校の子どもたちに食べさせたくて、毎回届けるのを楽しみにしていたそうだ。しかしその畑が放射能汚染し、ついには出荷停止とされてしまった。放射能は目に見えないから、見事に育ったキャベツは美しいままなのに汚染されていた。彼は「もう終わりだ」とつぶやいた翌日、自宅で首を吊っている姿を発見された。

 するとぼくは考える。どうしたら自殺せずにすんだのだろうかと。政府決定のような甘い基準で販売したら、多くの人が内部被曝して将来ガン死する確率が高まる。一方で厳しい基準にしたら、福島の人たちだけに被害を押しつけることになる。そこで思いついたのがナタネやヒマワリに土地の放射能を集めさせる仕組みだ。すでに「チェルノブイリ救援・中部」というグループが現地で実行している。その種から油を絞ってバイオディーゼル燃料にし、さらに滓をバイオガスにして煮炊きに使う。残った搾りかすだけを放射性物質として管理保管する。これならば土壌をいずれ回復させることができる。これを進めようと考えた。しかし批判は来る。「耕作する人が被曝してしまうじゃないか」「安全に管理できるのか」「本当に立証されているのか」などと。しかし不思議なことがある。もしそれらをクリアーできなかったら、あきらめるつもりなのだろうか。そのときに気づいたのだ。ぼくは活動家なのだと。問題のあることは知っている。しかし汚染された土壌を前にして、希望を届けられなかったら今後も篤農家の自死は続いていまうのだ。データがない、問題がある、そんなことはわかっている。必要なのは希望を届けることなのだと。


仕組みづくりを

 この連載ですでに述べたように、ぼくは未来バンク、ap bank、天然住宅バンク、信頼資本財団に関わり、非営利の天然住宅を進めている。カネの仕組みも持ち、「仮設じゃない復興住宅」にも低利融資の仕組みを作った。その結果、生活保護受給者であっても入居できる3万円の家賃の住宅を実現することになった。この資金をNPOに融資し、そこが家賃を徴収する。その結果、14年5か月で全額返済可能になる。返済終了後に被災者が生活保護受給を解消していれば、住宅そのものを無償譲渡する。もちろん天然住宅の建物だから木材はすべて地域産、体に悪い物質は一切使わず、百年は使えるものだ。分解して別な場所に建て替えられるようにしているから、ゴミにならない。そんなことが税金に一銭も頼らずとも実現できるのだ。

 政府に何かを求めるばかりではなく、市民自身で新たな仕組みを作ることも可能だ。もちろん電気を自然エネルギーに変えていくことも。しかしその前に省エネが重要だから、私たちは省エネ家電などに融資し支援する。もし可能なら、天然住宅バンクの支援プロジェクトのために出資してほしい。配当は一切ないしリスクもあるが、その資金は寄付ではないから将来戻すことができる。その資金が次の社会の礎となるのだ。


          ~~川崎市職労 連載記事より