Rooftop 田中優の「環境は、エンタメだ!」より
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第二十二回「日本人=ダチョウ起源説」 (2011.9.25)
この放射能汚染なのに、いつもと同じ日常だって?
先日エジプトのピラミッド前で、リアルな国際親善交流をした。
「よぅ! トモダチ、日本人だろ、オレのラクダに乗らないか? カネなんかいらないよ兄弟! だからこれを被ってみろよ。いいね、アラブの男みたいだ。写真も撮るぜ、下りたい? 今写真撮ったろ。20ドル払ってくれ」
「やだよ、タダって言ったろ?」
「ラクダはタダだよ。被り物貸したろ、写真撮ったろ? あれが20ドルだ」
「払わないよ」
「ならカメラ返さないぞ」
「観光警察に言うぞ! いいのか?」
「言えばいいだろ。…分かったよ、10ドルでどうだ?」
「じゃ5ドルやるよ」
うーん、ステキな国際交流だ。
その一方で、アラブの商人が、とても誇らしげに売っているものがある。
「(えっへん)これは木でできてるんだ!」という置物だ。
そう、スエズ運河を通った時に気づいた。運河の片側には緑の畑と町が広がり、その対岸は草木ひとつ生えてない砂漠だ。
この国では、人が水を引かない限り生命の色はない。その彼らにとって、木材製品は貴重品なのだ。
かたや日本では、土砂を積み上げただけで草が生え、数年経てば森が育つ。
土は生物の塊で、森はあらゆる生命の気配に満ちている。だから逆に私たちは生命を粗末にする。
埋立てられた水路の最後を見たことがあるだろうか。逃れてきた魚やエビが、行き場を失って水たまりを真っ黒にしている。カニは陸路で逃げようと壁をよじ登る。そこに人々は土砂を被せ、上から重機で踏みつぶしてしまうのだ。つぶされる甲羅の音が聞こえるようだ。
日本は挙句に、たかが電気のために森を放射能汚染させた。森を毒物の塊に変えた。
しかし反省のそぶりはない。それどころか「放射能は危険じゃない」と言い出す始末。
ダチョウは危険を感じると、砂の中に頭を突っ込んでやり過ごそうとする。隠れたつもりだが、外からは丸見えだから襲われる。まるで日本人だ。
この放射能汚染なのに、いつもと同じ日常だって?ダチョウはもうたくさんだ。
目をそらさずに生きられないか?