■臆すること
ぼくを知っている人は信じないと思うけど、でも自分としては自分のことを弱気でシャイな奴だと感じてるんだ。何が弱気かと言うと、周囲の意見に合わせてしまってなかなか自分の主張ができないことだ。 ほら、やっぱり信じてない。それはともかく、臆することによる損失は大きい。臆して主張しないことが、問題の対策を遅らせることも多いからだ。自分のこととして主張しないでいることは自己実現の妨げになる。それだけでなく主張しないことで、周囲の人も空気を読んでしまって一緒に主張しなくなっているかもしれないのだ。内心では懸念しているとしても。
■温暖化? 寒冷化?
ぼくの友人に江守正多さんがいる。気候変動問題の専門家で、国立環境研究所で働いている。彼が最近伝えてくれたところによれば、世界の温度観測の結果、2014年の9カ月が観測史上最高値で、もう1カ月が第二位、まだ集計が終わっていないが2014年は地球全体で観測史上最高気温を記録するだろうとのことだ。
しかし一方で豊かな国の多い北半球では北極周辺の寒冷高気圧の渦が乱れ(これを極渦=きょくうずという)、その結果冷たい空気が流れ込んで寒い冬が現出している。そこで「地球寒冷化」と主張する人たちもいる。
しかし江守さんにしても地球温暖化を「絶対に正しい」と言っているわけではない。それは確率的な問題だからだ。未だにそうでない確率も残るのに断定はできない。
他方の「地球寒冷化論者」の多くは断定的だ。5年前、江守さんは「朝まで生テレビ」に出演した。その際に「地球寒冷化論者」からこう言われたそうだ。
「5年後になればわかる」と。
その5年後が2014年だった。もちろん二酸化炭素はマイナス18℃平均であったはずの地球の表面温度を、プラス15度にしてくれている大切な存在だ。でも多すぎると、地球から宇宙に出ていく熱の流出を遅らせて温めてしまう。二酸化炭素が良い者だとか悪者だとかいう問題ではない。
「5年後になればわかる」と言われたその年、地球は史上最高の気温を記録しているのだ。
思い出すシーンがある。1980年後半のこと、日本でおそらく初めて地球環境問題の国際会議がNGO主催で行われた。その頃、日本側のNGOの発言者はおしなべて地球温暖化に否定的だった。
著名な市民派の気候学者が、地球寒冷化の本を出していたせいかもしれない。海外のNGOの主張を聞いた後、日本側の発言者は温暖化を否定し始めたのだ。これに海外のNGOのパネラーは、一瞬何を言われているのかわからずにたじろいでいた。通訳の翻訳ミスかもしれないと思ったのだろう。
しかしはっきりと気づくと、彼らは猛然と反論を始めた。主催者も場所も日本であるのだから彼らはアウェーなのだが、全く臆するところなく反論した。環境問題初心者だったぼくは発言する勇気すらなかったが、その姿がとても凛々しく見えた。
■発言するリスク
しかし今でもその件になると発言したくない。ぼくが信頼し、敬愛する人たちの中にも寒冷化論者が少なくないからだ。いやもしかしたら、面倒な論議を避けたい気持ちが強いからかもしれない。その論議で何度からまれたことか、数知れずあった面倒な事態にまたここで遭うのが嫌だからかもしれない。中でも最悪なのが、からんでくるヤツが権威主義の若造だったときだ。
「誰がそんなこと言ったんですか!
どこに書いてありますか!
あなたにそんなことを公然と人前で話す権利があるんですか!」
と怒鳴ってくる。
そういう人には何を話そうがムダだ。
彼は怒っているだけで、論議する気すらないのだから。
そして言う。
「あなたはどこの大学院を出たんですか!博士号すら持っていないんですか!」
と。
これは極端な例かもしれないが、人前で話すこと25年、そんなことも数多くある。
■「予防原則」から考えると臆してはならない
しかし冷静に話し、そのときだけでなく継続して討議できる場ならイヤではない。地球温暖化の専門領域に入ると理解できない話も増えてくるが、そこに入らなくてもぼくには自分が自分の意志を表明しなければならないと感じる理由もある。
それが「予防原則」だ。もし不確実ではあっても可能性が少なからずあり、その影響が甚大だと考えられる場合、予防的に対策するということだ。
そしてもし「専門家ではない」ことによって発言を控えるとしたら、福島原発事故の再来を防げないだろう。なぜならそれまで「専門家に任せておけば大丈夫」で、「素人が口出しするな」と言われていたのだから。
被害を被るのが専門家だけならいいのだが、実際には普通の人たちが被り、多くの場合には専門家はその被害からいち早く逃げるので彼らは被害を被らないのだ。
そしてぼくは上に書いた国際会議以来、臆するのをやめて主張するようにした。しかしぼくは今でも人前で自分の意見を述べるのが嫌いだ。臆病な人間は、敵対すると全人格的な戦いをしてしまう。余裕もなく相手を叩きのめすことだけに集中してしまうのだ。それはもちろんぼくの内側にもある。
■「雑音対応」より実効性ある対策を
無視しよう。雑音に惑わされるのは時間の無駄だ。「雑音対応」に費やされる時間は、生産に振り向けた方がいい。ややこしい専門的な話は江守正多さんに任せてしまおう。それより臆することなく自分の考えをまとめ、主張していった方がいい。
ぼくにとって石油などの化石燃料に頼らない暮らしは、実効性ある対策に思える。戦争は毎回石油等の資源をめぐっての争奪戦だし、温暖化の主たる原因はそれらを使い過ぎた結果の二酸化炭素排出にある。
貧富の格差と貧困者の増加もまた、石油システムに支配された結果だと思う。誰もが求める資源ならば、それを塞き止めて自分の利益にする者が利益の支配者となるのは当然のことではないか。
ならば慎重に実効性ある社会システムを構築するのがいい。いくら自然エネルギーに変えても支配構造が変わらないなら意味がない。送電線に支配されるエネルギーデモクラシーは矛盾だ。
市民がイニシアチブを握るエネルギーシステムを構築するには、グリッド(送電線網)の仕組みも変えなければ解決できない。特に電気は日本最大の二酸化炭素の発生源なのだ。
臆せずに新たな仕組みを提案して実現していくこと、それがぼくに見合った役割だと思う。雑音など意に介さずにブルドーザーのように押していくこと。それをさらに実現していきたい。
何より長くない人生の中で、やれる限りのことをしなければいけない。
それは後に続く世代の人たちに対する義務ではないか。
そう思って、重いセルモーターのスイッチを入れていきたいと思う。
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田中優の“持続する志”
優さんメルマガ 第402号
2015.1.7発行
http://www.mag2.com/m/0000251633.html より転載
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皆様明けましておめでとうございます。
2015年、新年の田中優メッセージです。
今年も新たな仕組みを臆せずに実行していきたいと思います。
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今年もどうぞよろしくお願い致します。(スタッフ)