2013年9月24日

『 死にかけてからの一年 』

『 死にかけてからの一年 』

間脳の出血

 ちょうど一年前、夜中に突然脳出血した。右手がしびれ、顔の右半分が硬直した。
「左の脳がやられたな」と思った。この後吐き気が来るだろうからと風呂場に入った。
風呂場で吐いたまま妻を呼んだものの、脳溢血になったことは話さなかった。心配され
たくなかったからだ。「すぐに病院に」と言われたが、とにかく眠くて仕方ないので
明日にしたいと答えた。

 翌朝病院に行き、面倒な検査をさせられ、うんざりするほど歩かされた揚句に
「ここからは車椅子に乗ってください」と言われた。いや、もっと早い時点でそう
すべきだろうと思ったが、そのまま入院。

 「ラジオの出演があるから出かけられないか」と聞くが、「普通だったら死んでいる
ところですよ」と言われてあきらめる。そこからひたすら眠った。なんでこんなに
眠れるのかと不思議に思うほど眠った。


「もうちょっとやりたいように生きようと思って」

 そう言うと友人たちからは「今までだって好き勝手に生きてきたのに、何をいまさら」

と言われた。それでも自制していたつもりだった。
 たとえば東京にずっと住んでいたし、31年間も公務員をやって定職と収入をきちんと

得ていたし。

 脳幹出血になったのは過労とかではなく、自分で自分を低血圧だと思い込んでいた

結果だった。
 「美味しんぼ」原作者の雁屋哲さんからは、
「そんな体形していて低血圧なわけないじゃないか」と言われたが。


 入院は6日間で済んだ。

 退院の日、てんつくマンが見舞いに来てくれて一緒に昼食を取りながら話し合った。
 もっとワクワクできる暮らしが可能なんじゃないかと。その話にてんつくマンが
反応して、ビデオ撮りが決まった。





 もし自由に生きていいとしたら、もっともっと実験的に生きたかった。

どこにでも住めるとしたらどこに住むのがいいだろう、どんな暮らし方がしたいだろう、と。

 てんつくマンからのビデオ撮り依頼に応じて、てんつくマンの住む岡山に行った。

そこで「こんなところに住みたいんだよな」と言ったら、てんつくマンの奥さんの
笑(えみ)さんがすぐに見つけてくれた。インターネットで送られてきた写真を見て、
そのまま決めた。

 自分が福島に講演に行くと「なるべくならここに住んで欲しくない、住まなければ

ならないとしたら以下のことを守ってほしい」と話していたが、東京だって十分に
汚染されている。自分が引っ越しもできないくせに、人に「住まないでほしい」と
いうのは矛盾だと思っていたから。だから縁もゆかりもない土地だ。


 妻は本当は越したくなかった。そりゃど田舎の古民家、人が住んでいた気配のある

家では、引くのがあたりまえだ。でも引っ越しは、岡山の和気周辺の人たちがトラック
で来てくれてやってくれた。なんとぼくは講演会とかぶってしまい、和気の人たちに
カギを渡してすべて頼んでしまった。その人たちのいることが、何とはなしに安心感
につながった。


 てんつくマンと収録したビデオは、「もう電力会社に頼らなくても暮らせる、

原発がなくたって暮らせる」という内容だった。

 岡山には年末に越した。その岡山からなら、オフグリッドを実現するための重要な
ツールを開発した慧通信技術工業のある神戸までは近い。そこで年が明けるとすぐに
慧通信の粟田さんに会いに行った。そこで「新たな仕組みを広報して、オフグリッド
を実現しよう」と話し合った。



 ぼく自身が買う予定はなかったが、価格を頑張って下げてもらった。

粟田さんは男気で生きているような人なのだ。

 その仕組みを引っさげて、てんつくマンと共に「未来のあたりまえシリーズ1.

電気は自給があたりまえ」のイベントを開催した。

 粟田さんはもちろん、城南信金の吉原理事長、サステナのマエキタミヤコさん、

電気自動車を自作した新潟の加藤修さんに来てもらって、「そんなことが可能な
時代になったんだから、みんなでこれがあたりまえになる世の中を作ろう」と話
し合った。




 会場では多くの人が購入希望者として手を挙げたが、実際に買うことになるとぼくしか

いなかった。幸いだったのはぼくが入手できたこと、残念だったのは実際におカネを出す
となると多くの人が躊躇してしまったことだ。


 そして2月23日、パーソナルエナジーが稼働した。太陽光発電パネルは屋根では

なく庭に設置した。しかも設置してくれたのは新たな土地である和気周辺の住宅設備
会社「ウエイクホーム」の延藤さん、家具屋さん「ビッグモリーズ」の大森さん夫妻
だった。



 それから半年後に雨が続いて電気が不足するまで、一度もプロパンガス発電機を

動かすことなく、太陽光発電の電気だけで暮らすことができた。そして電気が不足
すると、「バックアップの問題は重要ですから」と粟田さんが来てくれた。
そこからまた、新たな仕組みへとレベルアップしていく。


 粟田さんが来てくれた日、偶然大塚尚幹さんが我が家に来ていた

 大塚さんは福島原発近くで完全オフグリッドで郵便すら届かない場所に住んでいたが、
原発事故で岡山に居を移した人だ。彼は一級建築士でもあるが、その一方で再生鉛
バッテリーを使って、安くできるオフグリッドを提案している。
 その二人が出会って、何となく話している姿を見るのがまた楽しい。


 こちらに転居を決めた後、妻の妊娠がわかった。

 その子も7月に生まれ、今オフグリッドの暮らしをしている。
 妻が里帰り出産の新潟から岡山に戻ると、近所の人たちが野菜を持ってきて赤ん坊を
福してくれる。この地域では赤ん坊そのものが珍しいのだ。

 子どもの存在は未来の結晶だ。子どもを見れば未来を考えずにいられなくなる。

その子の泣きに何度も原稿を邪魔されながら、未来を思い描く。


 しかしなんて楽しい暮らしだろうか。

 たくさんの人たちが関わってくれて、それぞれの人の持った善意や特技や才能が、
次の新たな仕組みを生んでいく。

未来にワクワクしながら生きていける。

 都会ではこれまで、たくさんのことを他人任せにして生きてきた

 政府や電力会社、自治体に文句は言うものの、自分では何ひとつしようとして
こなかった。

 でも暮らしに必要なものは自分で作ることもできるのだ。
 自分の責任で覚悟を決めさえすれば。

 でも自分で作るようになると自由になれる。我が家は電気と水はタダになった。

 ペレットストーブだから地域の木材滓から暖が採れる。
 次には電気自動車を導入したい。

 そうしたら何のためにカネを稼がなくちゃいけないのかと、暮らしそのものを

問うことになる。

 もちろんリスクもある。

 でも人生そのものが実験だとしたら、それも含めて楽しめる。

 リスクのない人生なんてない。だったら楽しめる方がいい。
 病気をきっかけにした新たな選択、今のところ大成功のようだ。

 今月、新たな本が出る。

「未来のあたりまえシリーズ1.電気は自給があたりまえ/合同出版/1,000円+税」だ。
この本は、そんな体験から生み出された本だ。

 「シリーズ1.」になっているのはそれ以外のジャンルでできることを思いついて

いるからだ。全く新しい行動原理、「ワクワクすること」、そこから始められる未来
の形を、ぜひこの本で得てほしい。


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『未来のあたりまえシリーズ1 
 ー電気は自給があたりまえ オフグリッドで原発のいらない暮らしへー』


◆田中優より◆

「命がけの電気利用から 電気をつくる楽しみへ
 未来は待っていて届くものではありません。
 20年後のことを考えたら、各地の自然エネルギーとバッテリー
 電気コントロールで、電力の自給はあたりまえになるでしょう。
 だったらその未来を手前に引き寄せていけばいいのです。」


・田中優だけではなく、

パーソナルエナジー開発者の粟田さん、てんつくマン、マエキタミヤコさん、
城南信金理事長吉原さんらのトークも掲載。

・2013.9月上旬発売
・2月2日 未来の当り前~オフグリッド編~キックオフイベント@東京でのお話を収録

オフグリッドってどういうこと?
このまま発送電分離することがどうしてダメなの?
どうしたらオフグリッドを実現できる?
何から始めたらいい?  などの疑問にも答えます!

みんなで未来の当り前を今に引き寄せましょう☆

★書籍詳細、田中優自宅でのオフグリッド動画一覧はこちら↓
 http://tanakayu.blogspot.jp/2013/08/blog-post_19.html

★目次★
・はじめに
・第1章 たくさんのいいこと(田中 優)
・第2章 夢を実現した「パーソナルエナジー」(粟田隆央 慧通信技術工業株式会社代表)
・第3章 ワクワクできる未来づくり(田中 優)
・第4章 原発に頼らない未来をバックアップ(吉原 毅 城南信用金庫理事長)
 座談 パーソナルエナジーに融資は可能なのか(吉原 毅×粟田隆央×田中 優)
・第5章 パネルトーク 未来のあたりまえ

 (てんつくマン×マエキタミヤコ×粟田隆央×田中 優)
・オフグリッドへの道 9箇条


◆Amazonからはこちら
http://www.amazon.co.jp/dp/4772611428/ref=tsm_1_fb_lk

Amazonレビューにて、すでに星5つを頂きました!ありがとうございます。
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