2013年6月21日

「消費の時代を超えて、生産の時代へ」

▼ そうだ、〇〇を食べに行こう

 街中の看板を見て、思わず店に入った経験はないだろうか。
田舎に引っ越して、大きな違いに気づいた。広告が少ないのだ。田舎の近所の弁当屋には「店主、変わりました」と看板が出ていた。なんのこっちゃと思ったら、以前の店主は愛想が悪い上、注文を間違って覚えては違った品を押しつける人だったのだというという。田舎では広告ではなく、リアルな近所の回覧板の話なのだ。

 たまに地方都市に出ると、その広告の多さに目を奪われる。そしてたいして腹も減ってないのに「〇〇を食べに」店に入ってしまうのだ。 都会に売っているものは消費するものばかりだ。ところが田舎では人気のある店が違う。地域の人とばったり会くわすのがホームセンターだ。DIY(Do It Yourself)の店が多い。

 そこで売っているもの自体が都会と違っている。いわゆる消費材ではなく、「生産の道具」を売っているのだ。電気をもらうのではなく発電機を買う。
トマトを買うのではなく、トマトの苗を買う。この違いが大きいのではないか。


 アベノミクスなどと言われて消費や投機が煽られ、その結果円安が進み、株価上昇が続いている。一見すると景気上昇が起きているように見える。違うのだ。価格が上がっていく側面では、乗り遅れずに投資すれば得になる。誰もがウナギ登りの時期に乗り遅れまいとして投機しているだけなのだ。

 これはバブルだ。消費が伸びる一方で、所得は増えていない。むしろ給与所得で見ると減り続けている。国家レベルでも国の歳入は増えていないのに消費ばかり増やしている。収入が増えていないのに消費ばかりが伸ばすのだから、これはいずれ崩壊する。崩壊するとき、元の状態より悪くなる。おそらくインフレが進んでモノの価格が上がり続ける中、所得は増えないのだから、より深刻な状況に陥るだろう。


▼ 労働生産性の向上を活かすには


 思い起こすと、私たちの社会の労働生産性は著しく向上した。かつてなら何十人が数日がかりで作った製品を、機械はわずか数分で作ってしまう。著しく労働生産性は上がったはずなのに、私たちの労働時間は短くならないし、収入も上がっていない。労働の強度で言えば、むしろ増えてしまっている。
 これはいったいどうしたことなのだろう。

 確かに私たちが購入する自動車など、モノの価格は下がった。しかしそれでも生活は一向に楽にならない。この労働生産性の向上を生かす方法がないものだろうか。

 この方法を田舎に引っ越したおかげで見つけた。生産用具の価格もまた著しく下がっていたのだ。広告に乗せられて余分な品を買い込まなければ、この生産用具の価格の低下を生活に役立てられる。自動車ではなく耕運機を購入するなら、それは生産につながる。


 消費を煽られて、多くの人が「資産」と思い込んで購入する「自動車・ヨット・別荘」。これらは実は資産ではない。資産とは、持っていることで収入が得られるものを指す。自動車を持つことで、「税・車検・保険・ガソリン代」を払わなければならない。収入が増えるどころか支出が増える。これは「負債」なのだ。

 資産にしたいなら、生産財を買うべきだ。モノには消費材と生産財がある。
その生産財を販売しているのがホームセンターなのだ。


 残念ながらアベノミクスの後には、大きなインフレが来てしまうことだろう。
少しのインフレなら歓迎すべきことだと思うし、必要な投資がされるなら公共事業も悪いことではないと思う。しかし旧態依然とした必要ないダムや道路工事など、有効需要につながらない公共事業では無駄遣いにしかならない。

 それを嘆いていても仕方ない。それならインフレ時に役立つ仕組みを市民自ら作るのがいいだろう。


 ▼ インフレ社会こそ地域通貨

 インフレ・デフレはモノとカネとの相対関係でしかない。

 モノの価値が上がってカネの価値が失われるときがインフレ、デフレはその逆で、カネの価値が上がってモノの価値が下がるときだ。これまで数十年に渡って日本にはデフレが続いてきた。だからモノを買うよりカネを貯めていた方が得になり、人々は今日買うより明日の方が値段が下がるからと買い控えをしてきた。それが日本国内の生産をつぶしてしまった。だからややインフレに向かうこと自体は歓迎すべきものだった。生産によってインフレが起こるが、インフレによって生産が作れるわけではないのだ。

 インフレのとき、カネを持つよりモノを持った方が得になる。しかしだからと言って不要なモノや消費材を買っても意味がない。そう、そのとき必要なのが生産財なのだ。

 水や電気、エネルギーなどを自給する装置は価値を生む。それが生産財だ。
そしてもうひとつ、インフレに進む社会では、モノの価値と一緒に動く地域通貨が役立つ。地域通貨はモノやサービスを担保にして動く。同じ「大根一本」と交換する地域通貨は、インフレによって価格が高くなろうが、同じ大根一本と替えなければならないからだ。

 日本の地域通貨ブームは、1999年放映のドキュメンタリー「エンデの遺言」によって始まったために、時期が早すぎた。しかしインフレ時代の到来を前にして、いよいよ必要になる時代に入ろうとしている。


 一方人々は、これまで労働生産性の向上による果実を手にすることができずにいた。しかしその果実は生産用具に結実している。それならば生産用具を利用しよう。トマトを買うのではなく、トマトの苗を買うのだ。


 私の家では太陽光発電で電気を自給できるようになった。使いきれないほどの電気を手にして、電動草刈機や電動ノコギリを使う。次には電気自動車を買おうと思う。家賃や電気料金、水道料金は不要になり、灯油は木質ペレットに入れ替わり、やがてガソリン代も不要になるだろう。


 その分だけ、稼ぐおカネが少なくても暮らせるようになる。おカネに頼らない社会になったとき、戦争も地球温暖化の問題も、雇用の問題すら解決しているだろう。
 そのためにできることを模索していきたい。


6月20日発行の 田中優無料メルマガ より

http://archive.mag2.com/0000251633/20130620100000000.html