2019年8月11日

「不都合な社会」から出て生きる

2019.8発行 田中優無料メルマガより

 「プルサーマル利用」と聞いても知らないのが普通だろう。プルサーマル燃料(MOX燃料)といって、普通のウラン燃料に代えて、ウランにプルトニウムを混ぜた核燃料を原発で燃やすものだ。

 このプルトニウムは長崎に落とされた原爆の燃料となったもので、ウランより爆発性が高くて危険だが、そのまま持っていると「核兵器を開発するのではないか」と疑られる。だから世界的に所有しないよう核拡散防止条約で規制されている品だ。ところが原発から出る「使用済み核燃料」を再処理すると、このプルトニウムが増える。日本以外の国は再処理しない方針だが、日本の方針だけは「使用済の核燃料は再処理すべし」となっていて、1トンで核兵器が作れることを、すでに40トンを越えて持っている。減らすどころか増えているのだ。

 他国から見ると「日本がプルトニウム量を増やしている、さては核兵器を作るつもりだな」と思われても仕方ないので、そのプルトニウム量を減らしたい。



 そこで仕方なくウランに混ぜて核燃料にしてしまえと考えたのだ。ところがこのプルサーマル燃料の方がイランより費用が高い上に扱いが厄介だ。だから世界で止めているのだが、値段の高い分を電気料金にツケ回しができる日本ではそれができる。そして九州電力の玄海原発3号機、福井県の高浜原発、静岡県の浜岡原発、福島県の福島原発3号機と、全国に広げられていた途中で東日本大震災により、風向きが変わり始めた。


 それが6月21日、参議院議員会館での院内集会の会議の席上、政府は質問されてこう明言した。


「プルサーマルで用いた後の使用済MOX燃料の発熱量が、使用済ウラン燃料と同等になるのに300年以上かかる。ウラン燃料ですら、発熱量が下がるのに使用後15年経ってからでないと、乾式貯蔵に回すことはできない。「使用済のプルサーマル燃料」は、さらに300年以上経たないと再処理はおろか、運搬することすらできない」と。


 これは恐ろしい話だ。東海地震にも南海地震にも、再度の東北大地震にも待ってもらわなくてはならない。地震があって水道や電線が途切れてしまったら、冷やすことすらできなくなるのだ。プルトニウムは自然発火してしまう危険もあるし、それを混ぜた核燃料は冷やして攪拌し続けていないと溶け落ちるか核爆発する。


 そんな超危険なものを、300年以上も冷やして保管し続ないと次の過程へ進めない。そして同じ会議の席上でそのためん必要になる「第二再処理工場」について聞かれ、
「目途は立っていない」「研究開発で特性を把握しながら具体的に検討していく課題と認識している」と答えた。

 つまり実質的に進んでいないと言い、300年経って冷えたとしても、次に必要になる施設は「目途すら立っていない」のだ。先を考えずに進める日本政府の姿勢は、ここに極まれり、という感じだ。


 怖いのはプルサーマルを積んだ原発に、事故を起こして爆発した福島第一3号機があることだ。モノをまともに考えないか、その能力のない現政権は、福島原発を「コントロール下にある」としてオリンピックを誘致した。しかし今も福島第一原発はコントロール下どころか毎日放射能を放出している。必要な汚染された排出塔の撤去すら、せっかく作ったクレーンの高さが足りなくて撤去できず、そのままになっている。崩れ落ちた核燃料には、プルサーマル燃料が含まれているのだから、手出しすらできない。


 7月4日、グリーンコープ岡山主催で龍谷大学の大島堅一さんの講演会があって参加した。その資料の中に新聞各社の意識調査があり、原発の未来に対するアンケートが示されていた。「原発再稼働か廃炉か」の問いには、各社の結果とも「一対二の比率で廃炉を支持する」人の方が多かった。プルサーマル以前に原発の発電単価は他よりも高く、二酸化炭素の排出削減にも役立たない。

 よく見ると「原発は二酸化炭素の排出量が少ない」と書かれているのではなく、「発電時の排出量が少ない」と書かれている。つまり採掘も混合も再処理も廃棄も含まれていない計算なのだ。ついに人々は見放した。それでも進めようとするのは、政府と既得権を持つ産業界の関係者ばかりだ。


 今や原発で儲けている企業以外は応援すらしない。というのは日本流の進め方に同調していたのでは、世界でビジネスできない状況が生まれたためだ。たとえば「ダイベスト運動(温暖化を進めてしまう企業に投資しない、投資を引き上げる運動)」や「RE100運動(再生可能エネルギーからの電気で将来的にすべてまかなう宣言)」などが世界的な企業に広がり、「石炭火力発電」を進めることはできないし、再生可能エネルギー100%を目指さないと、生産品を売ることもできない。


 それどころか部品を納入することすらできない。世界では原子力も同じ扱いだ。
そんな中で原発や石炭火力を中心に進めているのはトランプのアメリカと日本政府ぐらいだ。しかしそのアメリカでは、政府が旗を振っているが、多くのアメリカ企業や自治体は従っていない。温暖化防止を続けているのだ。もはやこの流れを独裁的な政府が変更させることもできなくなった。


 そんな中で「新聞記者」という映画が公開され、大変な人気になっている。さっそく観に行ってきた。まるで現実の政権のしている「モリカケ事件」、「伊藤詩織さんレイプ事件」「デマによる人格否定事件」など、現実そのままに進行する。

 それは確かに必見の映画ではあるのだが、個人的には別な感想も持った。なぜそれらの事件に関わった人たちが簡単に自殺するのか、ということだ。人々はまるでガラス細工のように繊細で、小さな狭い身内社会だけの常識に囚われて生きているようだ。人はもっと野太く生きていい。だれに何と言われようと、自分は自分で生きていいのだ。ところが映画の中では人々が、属している小さな社会の中の「常識」に囚われて、死んだり苦悩したりしている。


 狭い社会など抜け出して飛び出せばいいのにと思う。友だちを失うにしてもほんの小さな社会の中の話だし、悩むのもほんの一時のことだ。新天地で新たな関係を作ればいい。


 新たな自分を生き直すことだってできる。今いる社会がすべてではないのだ。それより次の社会を睨んで行動する方がいい。今なら社会は変えられる。




家庭は「グリッド」から離れよ

オフグリッドしている田中優の自宅 「グリッド」 と突然言われてもわからない言葉だろう。 「電気の送電網」 のことだ。 多くの人が地球温暖化の問題で、最大の問題なのが「電気」であることは知っていることと思う。 その電気は、大きな電力中心に配られ、最後に残った小...