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2019年3月28日

「七年目の自主避難」

2019.3.18発行 田中優無料メルマガより

 今年も3月11日を迎えた。多くの人の人生を変えた原発事故から八年。
私自身が東京を離れて岡山に移住してから七年になる。言葉にすれば「自主避難」だ。それは定義上、災害時に市などが発する避難勧告や指示を待たずに避難した人を指すことになる。

 ところが日本ではその「避難勧告」レベル自体が怪しい。事故前までは年間1ミリシーベルトを超える被ばくはしてはならないはずだった。しかしその基準は事故後に20ミリシーベルトまで上がり、100ミリシーベルトまでは影響は出ないなどと言われる有様になった。


 被ばく量と健康影響を簡単に言えば、確率的に疾病にかかる確率が上がるということだ。現在世界で主流になっているのは「低線量の被ばくであっても、被ばく量に応じて直線的に被害が増える」となっているから、他の人の20倍、あるいは100倍病気になる確率が上がるということになる。先日話題になった水泳選手の白血病の告白だが、その土地は元の我が家(都内)からわずかしか離れていない地域だった。


 さらにもう一つ事情が加味される。子どもは大人より疾病になる確率が高く、放射線被ばくは距離の二乗に反比例するから、より近くから被ばくすると危険になるのだ。


 私は幸い仕事をすでに辞めていたから引っ越すことができた。さらに家のローンも完済の見通しがついていたから無理にそこに住む必要もなかった。私は原発問題をそれ以前から問題にしていたし、そのシミュレーションもしていたからこのまま東京にいるべきではないと思った。あくまで確率の問題だが、妻が期待している新たな子を育てることになれば、放射線値の高い場所に住んでいるのは望ましくないと思ったのだ。


 そして「自主避難」した。その言葉はまるで神経質で特別な考え方をしているかのように聞こえる。実際、それまでたくさんいたはずの放射能を気にする人々の数、新たに心配するようになった人々の数と比べて、移住した人の数はいかにも少ない。移住するための「条件が整わなかった」人が多数なのだろう。私自身はその条件が偶然整っていたから移住できたのだと思う。


 その条件が十分ではなくとも、放射線量の高さに背中を押されて移住した人たちの中に自殺者が増えている。ある文に書かれていたその女性は福島県郡山市に住んでいて、通常の40倍以上の放射線量を見て、子どもを守りたい一心で東京に自主避難した。

 夫は「周囲の人がそのまま暮らしている」「国が安全だと言っている」という中で理解せず、やがて彼女は自分と子で暮らすためにダブルワーク以上をして働かなければならなくなった。そんな中で住宅支援も打ち切られ、睡眠薬なしに眠れなくなっていった。夫に理解されることもなく、夫の収入の高さによって住宅の居住もできなくなり、彼女は絶望して首を吊った。この事例では「自主避難」という言葉が、「自分勝手に」という意味に聞こえる。周囲の考え方に従わなければいけないのか。


 ほんのわずかな偶然から、生き延びられたり死ぬしかなくなったりするのだ。
日本の状況は周囲を含め冷たいと思う。自分に非がなくとも死を余儀なくされるのだから。通常の40倍以上の放射線でも救いの手が差し伸べられない。


 資産家への課税は減らされているのに普通に暮らす人々への税は上がっていく。事故を起こした東電は助けられるのに、その被害に遭った人々は見捨てられる。その「原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)」では、せっかく中立的な機関からの調停金額が提示されても、東京電力側が認めない。実に120件以上が棚ざらしにされている。


 私自身は定職がなくて利用できなかったが、新たに岡山県和気町周辺に住む場合にアパート代程度の金額で支払い可能な「フラット35」融資の仕組みを利用した新規住宅のローンを作ってみた。土地価格の安い地方だからこそ成り立つ仕組みだ。建物は私のしている非営利の「天然住宅」の仕様だから、化学物質のない住まいで永く住まうことを前提として建てている。もちろん「フラット35の利用条件」はあるが、選択の一つにはなるだろう。小さな子を育てているのであれば、さらに金利の安いフラット35「子育て支援型」も利用できるようになった。


 何かと「自己責任」と言われる日本だが、自殺まで考えなくて済むような仕組みを作りたい。地域や自分たちでも可能になる仕組みを考えて、ぎりぎりまで他をあてにしないですむ暮らしを実現したい。


 そこにさらに余裕のある庭に自分で農地を作っていく、※「食べる庭」の仕組みを入れたらどうだろうか。元気な体を作る食べ物を作れるコツは土作りにあると思う。それは微生物たちのマンションになる炭を入れて、生ごみと土を混ぜて発酵させた土作りでできるのだと思う。

 うまく土作りに成功すれば、虫の繁殖しない栄養素豊かな土地ができる。そうすれば買い物で悩まなくても自分で無農薬の作物を作ることもできるだろう。栄養素で大事な根、皮、生長点を活かしきった調理もできる。それは働かなければならない収入の圧力を下げていくことにつながるはずだ。


 私は死を選ばなくてすむような社会を作りたい。それはもしかしたら言葉以上に大変なことかもしれない。それでももう一つの選択肢のあることを伝えられるのではないだろうか。


 今と違う場所に住むこと、

 今とは違う仕事に勤めること、
 今とは違う生活をしていくこと。


 それも元気に暮らすときには楽しみになる。生活はときに悪循環に入ってしまうこともある。そんなとき、何か一つをきっかけにして、良循環に向かうこともある。あなたが失われてしまったとき、周囲の人たちは力になれなかった自分の不甲斐なさに思い悩むことになる。周りの人にそんな思いをさせずにすむように、別な可能性も傍らに準備しておきたい。

 別な選択肢がある時、圧迫されているような閉塞感に、少しだけ風が吹き込むように思うからだ。



写真:田中優が移住した岡山県和気町の風景


※天然住宅「食べる庭」についてはこちらもご参考ください

天然住宅コラム 



「自給住宅」と食べ物

吉田俊道さんとつくる「食べる庭」

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