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2017年2月25日

『 楽しんで生きる ~還暦を迎えて~ 』

2017.2.17発行田中優無料メルマガより

『 楽しんで生きる 』

 この2月、還暦を迎えた。息子たちに「赤いちゃんちゃんこ」を贈ろうかと言われて、「オレをジジイにするな」と断ったが、子どもたちからのお祝い会は喜んで参加した。ただの飲み会だが。そのとき言われたことがある。

「おとんたちの世代って、歳とっても元気だよな、気力もあるし。
オレらの世代はそこまで元気ないよ。なんでそんなに元気なんだろう。
食べ物や化学物質の違いかね。
いつもやる気があるっていうか、何か新しいことしようとするし」

 ちょっと面食らった。自分ではそんなに元気な気はしない。でも確かにいつも新しいことを考えているのは事実だ。先日は次男に「メルカリが資金決済法の適用を受けないのはなぜか」なんて聞いていた。次男は弁護士で、たったこれだけの質問なのに調べてみると大変で、新しい本を買ったりして赤字だったと言っていた。その話は専門的で面白いものだったが、ここでは触れない。

でもぼくがこんなふうに、始終新たな仕組みのための新たな課題に囲まれているのは事実だ。

 そのときはうまく答えられなかったが、後で考えてみると思い当たることもある。何より好きなことをしていることだ。好き好んですることは疲れない。たとえ面倒な法律の文章を読むとしても、途方もない調べ事をしていたにしてもいわば「遊び心」なのだ。逆に人が疲れてしまうのは「やらされたとき」だ。自分が望んでいない仕事は、どんな些細なことでも疲れてしまうのだと思う。

 勤めていた時、全然望まない仕事をするときは、何か別の目的を考えてから実行していた。「~に役立つかも」とか、どうしようもない時はゲーム感覚で「今までで一番早くこなす」と考えてやっていた。幸い今はいやいやながらやっている仕事はない。それが疲れずにいられるコツなのだろう。


 もうひとつ「自分の好きなこと」を仕事にしている点も大きい。調べたり表現したりするのが好きだから、それで生活できることをうれしく思う。似ていて非なるものが「自分の得意なこと」だ。音楽家の坂本龍一さんは多彩で得意なことをたくさん持っている人だが、もし坂本さんが「お前はコンピュータが上手なんだから」と乗せられていたら、単なるプログラマーになっていたかもしれない。そうなれば「世界の坂本龍一」は生まれなかっただろう、得意なことではなく、自分の好きなことを優先する勇気が重要なのだ。


 もうひとつ、これは年を重ねた人に共通するかもしれないが、自分の可能性を多岐に考えなくなることが大事だ。子どもの頃はそれこそ、すべての可能性の扉が開いていた。しかしその扉は少しずつ閉じていく。椎間板ヘルニアで歩けなくなった時期があったけれど、それによって運動に向けての可能性の扉が閉じていった。それと同じように、少しずつ扉は閉じていくものだと思う。
自分探しなんてしない。自分に残った可能性の扉はそれほど多くないのだから、その中で選ぼうと思うからだ。

 すると余分な雑念が減る。自分に向かないことに努力しようとは考えないし、「努力すればなんとかなる」みたいな幻想は抱かなくなるからだ。でもその分、残された可能性の扉には全力で努力する。しかも年取った分だけ「老練」になっているから、楽しみ方も心得ている。努力忍耐みたいな頑張り方はせず、どうしたら楽しめるかを探し出すのだ。


 さて還暦を迎えて、ここからどうするかが問題だ。余分な悩みに悩まされないために、まず健康を心がけよう。かつてぼくは怠けることも可能な職場にいて、怠けるどころか必死に仕事をしていた。それは自分の能力を落としたくないからだった。時間さえあれば何かしていたのも同じだ。脳細胞は20歳代から増えないと言われる。しかし脳細胞に栄養を与えるグリア細胞は限りなく増えるものだと聞いた。それならばグリア細胞を増やせるように、いろいろな考え方に学んで脳細胞のシナプスに刺激を与え続けよう。

 なんのことはない、これまでと同じ行動だ。しかし衰えはきっと来るだろう。
その時期を遅らせる努力はしておこうと思う。

 長男に聞かれたことの答えは何だろうか。自分に与えられている環境と能力の中で、可能な限り貪欲に活動しながら、閉じてしまった可能性の扉には見向きもしないことなんじゃないだろうか。そうするとしたいことが見つかり、楽しんで生きられるのではないかと思う。楽しんで生きるから、いつまでも気力と元気がついてくるのだろう。



写真は2016.2移住先の和気アルプス登頂にて撮影