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2015年12月31日

『2016年のユートピア論』

田中優メルマガ 第493号
2015.12.31発行
http://www.mag2.com/m/0000251633.html より

※このメルマガは転送転載、大歓迎です。

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今年最後のメルマガ配信です。
今年もメルマガをお読み頂き、誠にありがとうございました。

今年も暗いニュースが多い1年でしたが、
田中優の言う「顔を上げて」来年も希望を見出しながら
進んでいきたいと思います。

来年は田中優の岡山の自宅
「オフグリッド&ミニマム&天然住宅仕様」
な家が
完成します。(完成見学会は2/14の予定です)

自宅そのものが実験場になります。
今後の田中優オフグリッドハウスにもぜひ注目ください☆(スタッフ)


□◆ 田中 優 より ◇■□■□◆◇◆◇■


『 2016年のユートピア論 』

■「文化力」というもの


 まだ十代の頃、ぼくは早く一人前になって自活したいと思っていた。
しかし現実はとても厳しく、高校を退学して勤めたものの、することはひとすら人の指図に従うだけだった。創意工夫などあったもんじゃない。ただひたすら工場の片隅で旋盤を動かしているだけだった。とても貧しくて、文字通り夢の中で夢想する以外に生きる術がなかった。なにかしたいと思っても、体力的にも経済的にもできることなどなかった。自分が歯車の一つにすらなれていない気がして、人目から隠れたいと思っていた。

 では今の自分になることができたのは、何がきっかけだったのだろうと思った。
たまたまフェイスブックに紹介されていた文章の中に、「文化力」という言葉があった。

 こうしたどうにもならない現実に置かれたとき、もっと良いものを選択しようとする「文化力」がなければ、そのままコンビニに行ってさっと買い物し、ファーストフードに行ってさっと食べ、それよりはるかに安く栄養豊かに食べられる自炊などする気力すら起きないのだと。そこで自炊しようと考えたり、別な未来を目指したりすることができるのは、その人が経験した文化の力なのだと。

 読んでしばらくして、『やっぱりそうだったのかな』と納得した。少しだけ食生活を改善しようと思ったとしても、「美味しい食」を知らなければ難しい。悶々と部屋の中に閉じ籠っているときに、『本でも読もうかな』と思うだけの「楽しい経験」がなければできない。

 ぼくは貧しかったけれど、そうした経験を持っていた。だから同じインスタントラーメンを食べるとしても、より美味しく調理しようと思ったし栄養も考えた。どんよりと過ごす時間の中に、本を読んだり音楽を聴いたりする時間を入れようと思った。その文化力がぼくを変えたのだと思う。

 音楽も文学も、ぼくに勇気を与えてくれていた。
『よし、それなら今度は~~をしてみよう、トライしよう』という気力が甦ったのは、音楽や文学のおかげだった。それがなかったら、周囲にたくさんいた人たちと同様にギャンブルに明け暮れ、安酒に酔う暮らしを続けていたかもしれない。

 「文化」という言葉は好きではないが、腑に落ちた気がした。それはただ夢見ているだけで現状に満足しようとする自分を動かしていく大きな原動力だったように思う。一念発起して始めたとしても続けられるかどうか。そのときにも音楽や文学はぼくを鼓舞して動かしてくれた。思えば自分にフィットした文化のあったことがぼくを救ったのだ。


■未来に期待する

 今は大学で教えたり原稿を書いたり、知的(この言葉も好きではないが)作業が生活の中心になっているが、今でも同じなのかもしれない。自分の内側に力の源泉があって、そのおかげで停滞せずにすんでいる気がする。

 それは何なのか、おそらく、未来に対して顔を上げて見ることができるかどうかの違いのように思う。それは時間軸の中で自分を把握しようとするかどうかの違いなのだ。

 「顔を上げて見る」ことは「文化力」以上に重要かもしれない。余裕がなければ将来や先々のことなど考えたくないと思う。それを上回る未来に対する思いが必要なのだ。

 そこにぼくは「なりたい自分」を当て嵌めた。資格でも免許でもなく、なりたい自分だ。そして自分の得意なこと、好きなことを並べていった。「不得意なことを克服する」という目標もあったが、それ以上に自分の好きなことを優先した。
子どもの頃には経験が少ないから、不得意、得意はわからないかもしれない。
しかしいろいろやってみる中から得意なことが見つかってくる。


 ぼくが得意なことは、想像すらしないことだった。学ぶこと、自分の意見を作っていくことがぼくの得意なことだったのだ。大人になってからは、自分の弱点を克服することより、長所を伸ばすことに集中した。一生続けられることがあるとしたら、自分の好きなことでなければ無理だからだ。



 「顔を上げて見る」ことは、時間に対する態度の違いだ。目を背けて見ないように生きることもできる。目を背けながら、マスターベーション的に自分の夢想に浸ることも幸せな時間だ。しかし残念ながら、時間に対してネガティブになってしまう。時間に対してポジティブになることが必要なのに。

 世界は人々に、時間に対してネガティブ、少なくともパッシブにしようとする。「何も疑問を持たずに過ごせ」「何もできないのだからやり過ごせ」と。その罠にはまった人々は、文化力の話と同じように「さっとすまそう」とする。その結果が抜け出ることのできない貧困であったり、ひたすら誰かに従おうとする隷属であったりするのに。

 いや、世界は小さな人々で形成されている。人々は何か楽しいことがあれば加わりたいと思っている。人だかりができていれば覗き込みたいと思う気持ちと同じだ。それならば楽しい活動をメジャーにすればいい。そう思うとできることの広がりが見えてくる。

 今年は「オフグリッド」の活動が大きく広がった。もちろん未来バンクの総会に来ていただいた佐藤さん夫妻のおかげが大きいのだが、その楽しさが人々を引き付けたのだと思う。

 「楽しそうだけど、経済的に自分にはできない」と思う人たちも多い。でも時間軸から考えたらどうなるだろうか。

 オフグリッドに第一に必要なのは、電気消費量の少ない暮らしだ。それは努力・忍耐なしにできる。具体的には「熱に電気を使わないこと」と「省エネ家電」に変えていくことだ。それなら誰にでもできることだ。

 しかしそこで立ち止まってしまう人も多い。つまり「顔を上げる」のが嫌で、「経済的に無理」という呪文で考えなくしようとする人たちだ。私たちにかけられた魔法の呪文の力はそれほど強い。

 しかし一歩踏み出してみると世界は変化する。家電を省エネ製品に買い替えると数年で買い替え費用の元が取れる。みるみる電気消費量が減って、オフグリッドするために必要な費用も減っていく。


 バッテリーは約3日分必要なのだが、日本の平均家庭の電気消費量の一日10kWなら30kWのバッテリーが必要になるが(鉛バッテリーだと使える深さが半分程度なので60kW分が必要になる)、それが3kWに減った時点ではわずか9kW分(鉛バッテリーでも18kW分ですむ)で足りることになる。それなら費用は数分の一しかかからない。具体的に自エネ組の仕組みで計算すると、設置費用を別で160万円で入手できる。


■人垣を覗き込む

 今はまだ元は取れないが、少なくとも原子力のような野蛮な文化から離れることができる。そして将来を見据えるなら、バッテリーの価格低下などによって将来は選択肢の一つとなっていくだろう。

 ならばそれを可能にする、未来の当たり前を今の時点に引き寄せるための方法はないだろうか。もちろん低利の融資にもそれができる。他の費用も含めたらもっと広がる。ガス代に使っている費用を太陽温水器の導入で半分にしたら近づくだろうし、ガソリン代に使っていた部分を自宅で作った電気からの電気自動車で不要にしていくこともできる。

 そのトータルで見るなら可能性は広がってくる。未来バンクはそんな可能性を実現したいと思っている。未来バンクの金利は現在、単利固定の1.8%にまで減っている。今すぐ元が取れないことでも、長年の融資によって実現することもできるのだ。ただし未来バンクの融資が成り立つには、融資額が100万円以上でないと難しい。振込手数料や手間賃の方が、金利を上回ってしまうからだ。

 人々が光熱水費から解放されて、たいしておカネを稼がなくても生きられるようになる未来を想像してみてほしい。「ブラック企業」にわざわざ勤めたいとは誰も思わなくなるだろうし、人々は長期に利益になるものを選んで「さっと買う」ようなものを選ぼうとしなくなるだろう。人は自分の特技で暮らせるようになり、自分のやりたいことをやって楽しく生きられるようになる。








 人々が覗き込むようにして見る未来が楽しそうに見えれば、多くの人が参加する。参加が増えれば増えるほど、価格低下が起きて未来は実現しやすくなっていく。やがて石油が不要になって地球温暖化の原因とともに、戦争の大きな原因のひとつが消えていく。原子力のような巨大科学技術を不要とし、高くて危険で迂遠な技術を衰退させていくだろう。

 これはユートピア論なのだろうか。
少なくとも、ぼくには実現可能に見えるのだ。






未来バンク事業組合ニュースレターより