田中優より 「この人が(自エネ組代表でもある)大塚尚幹(しょうかん)さんです。 よく「大塚商会」と聞き取り間違いされますが。 とても良い人です。」 |
★東日本大震災4年:
「原発が爆発。もう戻れないなと思った」
(朝日新聞岡山版 3月6日)
【ミニインタビュー】
福島県川内村で自給自足生活をしていた1級建築士の大塚尚幹さん(42)は、
家族4人で妻の実家がある岡山に来た。
◇ ◇ ◇
2011年3月11日、東日本大震災が起きた午後2時46分には、
事務所にいました。
オフィスがぐちゃぐちゃ。
買ったばかりの複合機を抱きかかえていたら、僕ごと宙に浮きました。
家族が心配で、約1時間かけて家にたどり着くと、額縁が二つ落ちただけ。
柱を直接地面に埋めて固定する「掘っ立て基礎」だったから、
揺れのエネルギーをうまいこと逃がす免震効果があったようです。
五右衛門風呂をわかしていたら、
5時のニュースで「原発の冷却機能停止」と流れました。
血の気が引いて。
午後9時半ごろに車で逃げ出しました。
翌12日の夕方、原発が爆発。
「もう、戻れないな」と思いました。
12年、岡山市北区の山あいにエコ住宅の建築事務所を開きました。
電力会社に頼らず、自分で発電・蓄電をする独立電源設備の依頼が
全国から来ています。(聞き手・中村通子)
◇ ◇ ◇
おおつか・しょうかん:避難してきた時は4人だった家族に、
5カ月前、新しく1人加わった。
この子のふるさとは岡山になる。
家族が心配で、約1時間かけて家にたどり着くと、額縁が二つ落ちただけ。
柱を直接地面に埋めて固定する「掘っ立て基礎」だったから、
揺れのエネルギーをうまいこと逃がす免震効果があったようです。
五右衛門風呂をわかしていたら、
5時のニュースで「原発の冷却機能停止」と流れました。
血の気が引いて。
午後9時半ごろに車で逃げ出しました。
翌12日の夕方、原発が爆発。
「もう、戻れないな」と思いました。
12年、岡山市北区の山あいにエコ住宅の建築事務所を開きました。
電力会社に頼らず、自分で発電・蓄電をする独立電源設備の依頼が
全国から来ています。(聞き手・中村通子)
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おおつか・しょうかん:避難してきた時は4人だった家族に、
5カ月前、新しく1人加わった。
この子のふるさとは岡山になる。