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2013年10月7日

援助の悪夢、ふたたび

「ODA」ってわかりますか?


今やほとんど話題にも上がらなくなったODA、「政府開発援助」のことだ。

 一般的に「援助」と呼ばれるが、実際には援助の名に値しないものが多い。

というのは、まず援助の半分以上が「有償援助」という金貸しで、相手に借金を作らせるからだ。


 この資金に私たちの年金や郵便貯金が使われ、貧しい国を借金地獄に陥れている。今、途上国が貧しいのは借金返済のために自分たちの食べ物まで輸出しなければならないためで、その借金の最大部分が、日本からの援助資金返済なのだ。


 一方のタダであげる「無償援助」の方もまた、日本の利権を世界に広げるために使われている。

 相手国の政策を、借金返済を優先させるのが「ノン・プロジェクト無償援助」で、世界的に悪名高いIMFや世界銀行の政策を補強するために出されている。残りはプロジェクト無償援助だが、農薬と農業機械を国内企業から買い上げて途上国に届けるための食糧無償援助、漁業権を確保して国連での票を集めるための水産無償などに使われる。

 しかも無償援助の場合には、受注を日本企業だけに限定する「タイド」が前提になっている。自国企業に受注を限定しない「アンタイド」の論議は、金貸しである「有償援助」のときだけの話なのだ。

 1990年頃には日本のODAの問題が盛んに論議された。貧しい国の人々に無縁の、日本企業の利益しか考えない援助ばかりだったからだ。しかしあれから20年経ち、再び日本の援助が国内の都合のために、世界を壊す事業に活用されようとしている。


モザンビークの開発計画

 モザンビークなんて誰も知らないかもしれない。アフリカの東岸、南アの北にある国だ。植民地から独立して、その後はお決まりの先進国が介入した内戦、1992年にやっと落ち着いたとたん、先進国の開発の魔の手が入る。

 小規模農家の多いこの国に、日本とブラジルが協力して1400万ヘクタールの農業開発、「プロサバンナ事業」が進められようとしている。この広さは日本の耕作面積の3倍だ。しかしそこは未開発の土地ではない。人々が住み、耕作している土地なのだ。耕作している人々は追い立てられることになる。

 ここで大豆などを中心とした農業開発が行われる。大豆輸入は戦前から、日本にとって生命線となっているのだ。満州事変の始まりになった張作霖爆死事件は背後に中国の大豆売買を一手に引き受けていた三井物産が、張作霖の取扱高に圧迫されたことに端を発する。三井物産支店長会議の議事録には、「満州の軍閥張作霖が 大豆の買い占めに手を出し始めたので困った」という内容があり、その後に爆殺されている。これほど大豆を食べる国民なのに、戦前から大豆生産量の不足に悩まされていたのだ。

 
 そしてブラジルと一緒に開発支援をするというのにも背景がある。ブラジルでは日本のODAによって、1974年から「セラード地域の開発」が行われた。

 「不毛の地域に農業開発を」と称して大豆、ユーカリ、サトウキビ、コーヒーが作られた。しかしセラードは不毛どころではなく、乾燥地ながら独自の生態系を形成し、アマゾンやラプラタ川の水源地となっている。

 しかし開発によって人々が環境に合わせてしてきた農地は奪われ、大規模開発によって生態系は破壊された。アマゾンが水を失えば、たやすく破壊されるのに。

 不幸なのはブラジルが食料が十分でない国なのに、収穫される作物のすべてが輸出向けである点だ。この大豆は日本に輸出されたが、その後は中国の輸入が最大となっている。

 人々が作った作物は自ら食べることはできず、輸出されて外貨獲得のために使われる。人々は食べ物に事欠く状態になり、アメリカからの穀物輸入によってやっとしのぐ。しかし通貨安や先進国に押しつけられた補助金カット政策によって、生活は困難になるばかりだ。しかしブラジル政府にしてみればこの政策は外貨が得られて成功だったから、日本とともにモザンビークに進出しようというわけだ。


世界を見る視座を

 そのラプラタ川の源流、セラードから流れ出るパラナ川に、イタイップダムという巨大ダムがある。せっかく作られたダムだが、予定の半分も発電できていない。

 しかし知られていないのは、ダム以前にはそこに美しい渓谷があったことだ。
「七色の滝」と名付けられていた滝は永遠に見ることができなくなった。同じようにアマゾンの深い森も、セラードの多種多様な独自の植物・動物群も見ることができなくなる。

 同じことを、モザンビークに日本の耕地面積の3倍という巨大規模ですることになる。モザンビークの人々は、私たちにも相談して進めてほしいと言っている。


 しかし日本の援助機関は彼らの意見など全く聞かず、ブルドーザーのように押しつぶしてしまおうとしている。

 いったい誰のための援助なのか。

援助というからには、援助が必要な貧しい人に届くものでなければする意味がない。
ただ国と大企業だけが喜ぶようなものでは、援助の名に値しない。

しかしこれが私たちの税金から実行される。私たちが「世界を破壊しても大豆のためなら仕方ない」と言っているならいいが、そうでないなら進めるべきでない。大豆は国内で作ればいい。


 今すぐは困難だとしても、日本人にとってはコメと並ぶほど大事な作物なのだから自国で作るのがいい。

 今、日本の円は価値が下がり続け、その割には輸出が増えていない。国債は乱発され、景気回復のためという名の下で不必要な支出が続いている。所得税を上げてまでした震災復興予算のほとんどが、無関係な公共事業に支出され、問題となっても残っていた分だけ返済すれば免責される。さながら日本政府はやけを起こして、もうどうにでもなれと浪費しているように見える。このプロサバンナ事業が軌道に乗ったとして、そのとき海外に育てた大豆を買いつける外貨が日本にあるのか。

 内向きの思考を脱して、世界を見る視点が必要になっている。



▼9/23発行 田中優無料メルマガより
http://archive.mag2.com/0000251633/20130923132847000.html






写真:JVC日本国際ボランティアセンターより https://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/prosavana-jbm.html